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「失言」政治家に欠けているのは視線の転換(下)

政治の質を上げるためには?

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

「和」よりも「論争と抗争」

 複雑な利害が渦巻いている現代社会では、「和」などはどだい無理なのだ。「思いやり」などでは「やってられない」のだ。

 あるのは「論争と抗争」、相互の権利を認め「視線の転換」の訓練を経た「論争と抗争」だ。権利を認めない方々は、都心の高級マンションに住んでおられようと、現代生活に向かない。

丸川珠代環境相拡大「反放射能の人がわーわー」と……
 ひとつ例を挙げよう。もう数ヶ月前になるが、ドイツで、保育士が作っている労組の全面的なストライキがあった。

 もちろん待遇改善を求めてである。どこの国でもそうだが、比較的資格が取りやすいこうした仕事は、高度な資格を要求されるパイロットなどに比べて報酬が極度に低い。

 ストはかなり長く続いた。お母さんたちはさぞ困ったことだろう。

 でも、日本ならありがちなことだが、ストで困っているお母さんたちをクローズアップして、ストを暗々裏に非難する報道は皆無に等しかった。なぜなら、ストは労組の当然の権利だからだ。いや、保育士が労組を作ることも当然の権利だからだ。

 経営者側である保育園関係の全国組織も法的次元での「視点の転換」の能力が必要だ。

 厳しい団体交渉の結果、細かいことは省略するが、職種全体では、4から6パーセント、平均100ユーロ以上(1万2000円から1万3000円)の高額の賃金アップで妥結した。「和」など無視して争った方が、結局はより高度な次元での「コンセンサス」に帰着するいい例である。

 妥結時点ではにこやかに握手する双方の代表の写真が新聞やネットに載ったが、両者とも内心は忿懣(ふんまん)やる方なかっただろう。

 もちろん、スト中の保育料は保護者に払い戻された。しかし、抗争による(仲良くは絶対にならない)コンセンサスは結局のところ当事者すべての利益になる。

 争いに必要なのは、この制度化された「視線の転換」である。「抗争」のなかで相手側の事情を分析し、要求の正当性を認める能力である。

政治家の「劣化」?

 もちろん、この能力は、圧倒的な力の差があるときには、誰も使わない。

 ひとりひとりの保育士が経営者に文句を言っても、経営者は「視線の転換」などしない。「余計な要求は生意気だ」、「苦しいのはわかるが、あの日本のように、調和の精神で働いてくれないかなあ」と言ったかもしれない。

 政府が経営者たちに賃上げをお願いしても上がるわけはない。労働運動とストライキによる賃上げがあって、はじめて社会的平和は保たれるのだ。

 そういえば、大昔、文部大臣の天野貞祐は、「ストは日本人にはなじまない」などととんでもないことを述べた。反発の少なかったのも困るが。

 とはいえ、かつては自由民主党にも、経営者にもこうした「視線の転換」の能力はある程度だがあった。それは、与野党の勢力がそれなりに微妙に均衡していて、一歩間違えれば、次の選挙でしっぺ返しをされたからだ。

 一連の失言から「ゲスの不倫」(もはや定型句だ)、そして甘利経済再生担当大臣とその秘書の犯したとおぼしき、あまりに古典的な“賄賂”政治、あるいは病気と偽って国会を欠席して秘書と旅行に行ったとされる女性国会議員、こうした言動を見て、一部の識者は政治家の「劣化」を言う。しかし、わたしはそうは思わない。

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筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

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