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民進党は自己革新を遂げ、政権の受け皿となれ

本格的なシンクタンクの設置を検討すべきだ

野中尚人 学習院大学法学部教授

 民主党と維新の党との合併がとうとう本格的に動きだした。新しい党名は民進党である。背景には、7月に予定されている参議院選挙、そして場合によっては衆議院総選挙との同時選挙に向けた大きな観点からの野党勢力の立て直しがある。

民進党・野中原稿につく写真新党協議会を終え、党名が「民進党」に決まったことを発表する民主党の岡田克也代表(左)と維新の党の松野頼久代表=3月14日、東京・永田町の衆院第2議員会館
 日本維新の党の立役者だった橋下徹氏が大阪での住民投票での敗北で政界引退を表明した後、同党内部では対立が深刻となった。少なくとも同党の分裂が避けられなくなった2015年10月前後からは、大きく見れば今回の合流に至ることはほぼ定まっていたと言っても良い。しかし実際にはひどく難航した。これは何故だったのか。1990年代の新進党の結成・解体過程と似た側面があるが、新党の今後を考える上でまずはこの点を整理しておく必要がある。

「維新」の勢力拡大の背景に「不満の政治」の到来

 「維新」が、橋下という目立ったリーダーを得たのは重要な点だったが、一時期の急速な勢力の拡大が可能となった大きな背景は、いわば「不満の政治」の到来である。アメリカでのトランプ現象や、移民排斥の極右政党の台頭に見舞われているドイツなどにも共通する大きなうねりである。ポスト小泉時代の自民党政治の大混乱と民主党政権の失敗が、国民に「どこにもまっとうな責任政治の担い手がいない」と思わせたのも同じような効果を持ったと言える。

 しかし結局のところ、「維新」の本質は何だったのかと言えば、不満の糾合に支えられた「選挙互助会」ではなかったのか。本人たちの意識は若干異なるかもしれないが、橋下と都知事の石原慎太郎が手を組んだことも、また旧民主党の勢力が合流したことも、最初からかなりの違和感が拭えないものだった。つまり、「維新」という言葉が象徴する既成政治の打破という旗で極めて緩くまとまっていただけで、脆弱な凝集性という本質的な問題を抱えていた。それが、安倍官邸と橋下執行部との距離感、つまりは政権に対する基本的なスタンスをめぐって分裂に向かうことになったのである。政権補完なのか、それとも野党としての立場を明確にするのか。この点で一致出来ない人々が1つの政党で居られないのは、当然のことである。

合併に大きく影響した小選挙区比例代表並立制

 しかし、十分な注意が必要なのはやはり選挙制度の与える影響である。小選挙区制と比例代表制を組み合わせた並立制は、2つの大きな特質を持っている。1つは、2つの大きな政治勢力にまとまろうとする動きを生み易いことであり、政権政党とそれに対する対抗政党の間での政権交代をめぐる力学を強めることである。今回の民・維合流は明らかにそうした流れを意味している。しかし比例代表制部分は、少数派代表の存続と新しい勢力にとってのステッピング・ボードというかなり異なる側面を持っている。「維新」の進出はこれをうまく使った部分がある。

 しかし、維新の分解過程が示していることは、いわゆる「第3勢力」というものの難しさでもある。2大勢力でなく少数派の代表としての小さい政党でもない、そして規模の点のみならず政策位置の面でも中間的、明確でない政党が安定的に存在する条件は、この並立制には乏しいからである。従って、初期のブームが過ぎ去ると、多くの場合は政権党への吸収合併か、さもなくば野党勢力の結集かという二者択一にさらされることとなる。

 さてこれまで述べてきたことは、つまりは、「維新」の分解と民維合併が、基本的に並立制という選挙制度によって生じているロジックの帰結だということである。しかしこのことは、もう一度野党の結集が進み、2009年に起こったような政権交代が再び起こることを保証するようなものかと言えば、全くそうではない。そしてここから先は、新しい党名に変えたとは言え、要するに民主党の再生と刷新・強化が本当に出来るのか、という点に大きくかかっている。選挙制度は

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