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[8]オバマ訪問、ハバナはひたすら熱い

板垣真理子 写真家

オバマ大統領(左)の左手を持ち上げてほほえむカストロ国家評議会議長=21日、ハバナ拡大オバマ大統領(左)とカストロ国家評議会議長=2016年3月21日、ハバナ
 米国大統領、バラク・オバマ氏のキューバ訪問は、21世紀の中でも大きな事件になるだろう。

 なにしろ、米国大統領がキューバを訪問するのは、88年ぶり。

 あの悪名を馳せたマチャードがキューバで政権を握っている頃に、パンアメリカ会議に米国大統領が出席して以来、また当然のことながら、1959年の革命成立後は、初の訪問である。

 2015年7月に揚がる予定だった星条旗が約3週間遅れの8月半ばにハバナで揚がった時には信じられないほどにクールだったハバナっ子たちも、今回は熱かった。

 かなり以前からセキュリティが始まり、目に見えているところでは、1週間前から空港が封鎖。ターミナル1~4が封鎖され、オバマ氏一行が去るまでは、ターミナル5が主に使われた。

 ちょうどこの時に空路で東部の町、サンティアゴへ行くことにしていた私も、ターミナル5から出て、帰った。空路の乱れもかなりあり、なかには10時間も遅れ、空港で待たされた人も出たようだ。

 また、ハバナの宿はどこも満杯。サンティアゴへ行く直前に、私の住んでいたカサの天井が崩れて落ちてきたため(!)サンティアゴから帰ってきた時に泊まる次のカサを探すのに、大変な苦労をした。

 もちろん、これは「オバマ来訪」のみが理由ではなく、今年に入って恐ろしい勢いで観光客が増えているためでもある。事前に部屋を予約していても、ダブル・ブッキングのため、車で2時間はかかるビーチ沿いの観光地バラデロのホテルへ、勝手に変更してしまうホテルまで出ていた。

乱れ飛ぶ情報と口論

 私は、オバマ氏の一行が尋ねる場所を事前取材した。とはいえ、情報はさまざまに乱れ飛び、到着の日程までが、「3月20日だ、いや21日なのだ」といろいろ。安全確保のための攪乱の可能性もあるかな、というのは考え過ぎか。しかし、もし万一何かがあったら、すべてが水の泡になる可能性もあるのだから当然だろう。

 旧市街の入り口である「パルケ・セントラル(中央公園)」では、がんがんと、がなりたてるように熱く口論しているグループ。それを撮影している米国人カメラマン。

米国国旗の服を着た女性はアリシア・アロンソ劇場の前拡大米国国旗の服を着た女性=アリシア・アロンソ劇場前で 撮影・筆者
 「何?」と訊くと「野球について口論しているんだよ。彼らはいつもそう。僕たちは何カ月も前から用意してきたんだよ」とのこと(あら、何ヵ月も前からなんてオバマ氏の来キューバのこと、私は知りませんでしたわ)。

 また、全身を米国国旗の柄にしたワンピースを着たキューバ女性もカメラにすぐポーズをとってくれた。また、オバマ氏一行が訪ねる場所には早くからキューバ人のセキュリティも立っている。

道路は封鎖、静かな町

 このように来訪以前からハバナの熱は上がっていたが、いよいよオバマ氏一行の空港到着の20日は、肌寒い天気の小雨状態。私は、オバマ氏が到着後まず行く予定になっていた旧市街(ハバナ・ビエハ)へ行き待機。

 突然の雨のためカテドラルに至る道沿いのレストランに飛び込んだ。と、店の奥のテレビの前に人だかり。いよいよ到着であった。レストランで働く人もテレビから目が離せず、画面を見ながらシェーカーを振っていたり。

 待つこと数分。飛行機のタラップにオバマ氏が姿を見せると「おおおっ」というどよめきのようなものが皆から漏れた。スーツ姿のオバマ氏、並んで夫人。オバマ氏が傘を持ち、夫人に差しかけながらゆっくりとタラップを降りた。

 「ああ、家族と一緒だな」と呟く人の顔は感激に満ちていた。なにしろラテンの国では「家族」というのがとても大切なものだし、また長く続いた封鎖に対する初めての突破口の可能性が見えてきた瞬間なのだから。

中華料理店の女の人が持っている新聞拡大中華料理店の女性が持つ新聞には、オバマ来訪によるバスの経路変更の案内が出ている=撮影・筆者
 この日、オバマ氏は旧市街のカテドラルを訪ねた後に、ハバナの誇る国立美術館を訪問したが、この先の3日間、オバマ氏の行く先の道はどこも封鎖。バスの経路も変更されているため、「わあ、乗れなかったわ」と雨に濡れた服をはたきながら戻って来る人も。

 「今日なんか外に出たくない」と言う人もあった。実際に町は通常よりもずっと静かだった。

時代が動いた

 2日め。オバマ氏はいよいよ、革命記念塔のそびえる記念館へ。

 胸に手をあてて表敬した。この瞬間は、かなり感激的だった。

 なにしろ「革命」の結果が二つの国を分かっていたのだ。そこを表敬する、ということに「時代が動いた」という実感があったのだ。そして、双国トップの「国交回復とキューバ、米国の行く末について歩み寄るためのスピーチ」。

 3日め。とうとう訪問最後の日。午前中に、新しく名前を「アリシア・アロンソ劇場」と変え、内部も相当な予算を注ぎ込んで改修した、元「ガルシア・ロルカ劇場」へ。

 なぜ名前が変わったかははっきりしていないが、もともとスペインの高名な詩人の名の冠されたもの。いつまでも以前の植民地であった国の詩人の名前を使わなくても良いのではないか、という考慮からかもしれない、と想像している。

=撮影・筆者拡大オバマを迎えたアリシア・アロンソ女史(テレビ画面から)=撮影・筆者
 ここで出迎えたのが、ラウル氏と、高齢になった当のアリシア・アロンソ女史。ピンクと赤のコーディネートも美しく、オバマ氏と握手を交わしながら、かなりの時間、言葉を交わしていた。

 そこでオバマ氏単独のスピーチ。自らの父親がアフリカのケニアから移民してきた系統であること。米国には、たくさんのキュ―バ移民がいること。キューバの人たちの素晴らしい文化、サルサやチャチャチャなど、音楽の素晴らしさも称えつつ、これからの双国の将来への希望を語った。

 世界各地から集まったジャーナリストは約250人程度。全員がオバマ氏の後を追えるわけではないのでハバナのホテル、ハバナ・リブレでは2階に大きなプレス室が用意され、大画面で実況されていた。テレビの取材班の中には、画面の実況を見ながら、自らのマイクで母国に実況を送る人も。

 ハバナ・リブレ前には取材班を載せるバスが待機。また、各国の国旗もたなびいていたが、キューバ国旗のみ大きく、他の国の旗はずらりと同じ扱い。米国国旗まで同じだったのは、なにか少し不思議な気持ちにもなった。

野球観戦するホテルのカフェ従業員拡大キューバ対アメリカの親善野球を観戦するホテルのカフェ従業員=撮影・筆者
 また、これは特別ルートで手に入れた情報だが、オバマ氏近辺のセキュリティは全員が米国人で、キューバ人はなし、とのことだった。

 最後のイベントだった野球の親善試合では4対1で米国が勝利。地元キューバにとっては残念な試合になった。試合が始まったばかりの時に、テレビを見守る人たちを写しておいて良かった。テレビ中継には過去のキューバの試合の栄光の瞬間が何度も流された。

1週間で新しい革命をやったオバマ

 こうして過ぎていった3日間だったが、どこのシーンを見ても、とても静か。いろいろな国のジャーナリストに「どう感じましたか?」と訊くと、静かだった、とか穏やかだった、といった言葉。オバマ氏の人柄なのだろう。

 また、一般の人に「どう思いますか?」と尋ねても、皆が「いいことだ」「素晴らしい」と言ったコメントで、それ以降のことは、誰にも今、想像ができない、というのが本当のところかもしれない。

 ひとつ、冴えわたったコメントは、「キューバは60年かけて革命をやってきたけど、オバマはたった1週間で新しい革命をやってしまった!」。

 こうして何事もなく無事に終わったキューバ訪問。こうした日々にも、路上には豚の頭がごろんと転がり(キューバにあるアフリカ系宗教の儀式)、また若いカップルが式を挙げる姿も。彼らにとっても忘れがたい日になるだろう。

 オバマ氏の来キューバを終えてから2日を置いて、その後にはローリング・ストーンズの来キューバ。今のハバナ、ひたすら熱い。

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筆者

板垣真理子

板垣真理子(いたがき・まりこ) 写真家

1982年、ジャズ・ミュージシャンの撮影から写真の世界に入る。以後、ナイジェリアをはじめとしたアフリカ、南米、カリブ、アジアなどを取材。著書に、『キューバへ行きたい』(新潮社)、『ブラジル紀行――バイーア・踊る神々のカーニバル』(ブルース・インターアクションズ)、『武器なき祈り――フェラ・クティ、アフロ・ビートという名の闘い』(三五館)など多数。