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[4] 「9条削除論」を考える

一連の議論は立憲主義の根幹を見失っている

杉田敦 政治学者、法政大学教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、1月29日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

講演する杉田敦教授講演する杉田敦教授

「9条削除論」

 次に「9条削除論」について見ておきたいと思います。

 これは新9条論とも近い話なんですが、ちょっと違う。主唱者の井上達夫さんとは親しくさせていただいているのですが、この問題を彼が持ち出してくると、私も黙ってはいられず、いつも言い合いになります。

 新9条論というのはとにかく新しい9条を書くと。今までの9条はもう死んだんで、別な内容を書きますということです。ところが井上さんは、書き直すのでなくて削除すべきだと言っている。新9条論さえ不徹底であると、こうおっしゃるわけですね。

 それはどうしてかと言うと、彼によると、安全保障といった問題は政策問題なので、そもそも憲法に書くべきでない。憲法が書くべきなのは、二院制の議会を設けるとか、基本的人権を保障するとか、要するに政治的決定が正しく行われるための条件整備に限られるべきだ。決定の中身に影響してはいけないと。民主主義という競技のためのアリーナ(闘技場)を準備するだけで、その競技でだれが勝つかとか、そういう問題に関わってはいけないんだというわけです。これに対して、9条は彼によれば、非武装という安全保障政策を決めているようにしか読めず、したがって、憲法の枠をはみ出しているのだ、というのですね。

目指すべき方向を示す25条

 これに対する批判としてはいくつかの点があるんですけれども、まず、憲法には一切、価値に関わることを書いていないか、そんなことはないということが第一点です。

 例えば先ほどもふれた憲法25条というのは「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」と。これは、生活権の保障を政府の役割としているわけで、政府の役割を極小にしようとするような政治思想に対しては、明らかにそれを排除するような規定になっています。自由放任主義(Libertarianism)の政治思想に対して。

 こういう自由放任主義者は、個人の生活保障とかそういうものを政府がやるということに反対し、自己責任を強調します。

 こういう政治思想の人たちから見れば、憲法25条は明らかに邪魔というか、彼らの政治的主張を妨げている。彼らに対してハンディキャップを課しているわけですが、井上さんは、それなら憲法25条も削除すべきだと言うのでしょうか。

 さらにいえば、日本で憲法25条が本当に実現しているのか。みんな健康で文化的な最低限度の生活を送れているのかといえば、そんなことはない。いろんな数え方がありますが、日本国民の6分の1は貧困線以下であると言われているわけです。

 であれば、憲法25条は実態と合わない、空文化していて、憲法25条はすでに死んだ、こんなもの置いておくと憲法をかえって尊重しなくなるから、憲法25条は削除しろという議論になるのでしょうか。いかにおかしい議論かわかるでしょう。憲法が示している原理と現状が合わないとしても、それは憲法のせいではありません。

 憲法25条はそれが存在することによって、方向性を示している。だからそれに基づいて、裁判その他の形で戦うことができるわけです。これが第一点ですね。

現実的ではない「自由なアリーナ」

講演する杉田敦教授講演する杉田敦教授
 第二点として、規制を撤廃すると自由な市場が出現してくるという考え方は、そもそも経済活動についてさえはなはだ疑わしいわけですが、思想とか言論について市場と同様に考えるということはかなり問題です。

 井上さんは、9条があることで、今の日本の政治的議論のアリーナは、軍事的なものに消極的な側に有利で、積極的な側には不利な、いわば傾いたアリーナになっているから、これを是正すべきだとしています。9条を取れば、日本はもっと軍事的にやるべきだという人も、やってはいけないという人も平等な資格で議論できる、それこそが正義なんだとおっしゃっている。

 しかしこの「規制を緩和すると平等で自由なアリーナができてくる」という発想自体が、かなり非現実的です。

 というのは、ほかの問題についてもそうですが、特に安全保障問題については、政府の主張に対抗するのは非常に困難です。政府は様々な情報を持っており、しかも当然のことながらそれを秘匿する。日本国においても特定秘密保護法というものができましたが、それ以前から、防衛秘密のみならず様々な機密は各省庁においてもちろんあった。

 例えば、政府がこの外国での戦争に参加する必要があると言ったときに、

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