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[7]「パパ」ヘミングウェーが息づく土地

伊藤千尋 国際ジャーナリスト

 ハバナから車で東の海岸を目指すと、ほんの20分足らずでサンフランシスコ・デ・パウラだ。白亜の平屋建ての邸宅が立つ。米国のノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェーが住んでいた家が、そのままヘミングウェー博物館となっている。

 今は屋敷の中には入れず、外を巡りながら開け放たれた窓を通して内部を見るだけだ。あたりは海外からの観光客だらけで、窓に近寄ることさえ難しい。だが、今ほど観光客が多くなかったころは、館の中に入ることができた。

 玄関を入ると細長い居間だ。ソファやテーブルが置いてあり、壁にはアフリカの狩猟で仕留めたインパラやバッファローなどの剥製が飾ってある。スペインの闘牛のポスターや油絵などが貼ってある。

 その奥は寝室だ。大きなダブルベッドがあり、壁際の本棚の上には分厚い紳士録にのせた黒いタイプライターが置いてある。ヘミングウェーはひざが悪かったため、立ったままタイプライターで作品を書いた。疲れると傍らのベッドに横になったのだ。

『老人と海』のモデル 

 この邸宅に住み始めたのは第2次大戦中の1939年だ。このタイプを使って最初に書いたのが『誰がために鐘は鳴る』である。さらに奥には書斎やダイニング、客用の寝室などがある。どの部屋も書棚はおびただしい本で埋まっている。トイレの中にさえ3段の本棚がある。9000冊あるという。

 内部を見られないのが残念だが、そこはキューバだ。融通が利く。

 中にいる見張りの女性が私のカメラを指さしてウインクした。

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(残り:約1382文字/本文:約2015文字)


筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) 国際ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。「九条の会」世話人。主著に『心の歌よ!』(シリーズⅠ~Ⅲ)『連帯の時代-コロナ禍と格差社会からの再生』『凛凛チャップリン』『凛とした小国』(以上、新日本出版社)、『世界を変えた勇気―自由と抵抗51の物語』(あおぞら書房)、『13歳からのジャーナリスト』(かもがわ出版)、『反米大陸』(集英社新書)、『燃える中南米』(岩波新書)など。公式HPはhttps://www.itochihiro.com/

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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