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[1]戦争になれば、自衛隊は米軍の指揮下に入る

矢部宏治 書籍情報社代表

 あの懐かしい『朝日ジャーナル』が、この夏、特別号を出すことになったらしい。

 その誌面で、旧知の白井聡さん(政治学者)と対談してほしいといわれたので、喜んで出かけていくことにした。ちょうど同じ日、店頭に並ぶ予定の自分の本(『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』集英社インターナショナル)についても話をしていいですよという、願ってもない企画だったのである。

 対談の内容については、6月下旬に出るその特別号を読んでいただきたいのだが、依頼のメールをもらったときに、少し運命を感じた。というのも私が今回の本でとりあげた「戦後日本・最大のタブー」について、35年前に大スクープを放ったのが、まさに『朝日ジャーナル』だったからだ。

 そのタブーの名を「指揮権密約」という。

日米安全保障条約の調印を終え、ダレス全権と握手する吉田茂首相(左)=195198日米安全保障条約の調印を終え、ダレス全権と握手する吉田茂首相(左)=1951年9月8日
 そういっても、おそらくピンとこない方がほとんどだろう。つまり「指揮権密約」とは、「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮下に入る」という密約のことなのである。

 「バカなことをいうな。そんなものが、あるはずないだろう」

 そうした読者の怒りの声が、聞こえてくるような気もする。

 しかしそれはアメリカの公文書によって、完全に証明された事実なのだ。占領終結直後の1952年7月23日と、1954年2月8日の2度、当時の吉田茂首相が極東米軍の司令官と口頭でその密約を結んでいる。

 その事実を本国へ報告したアメリカの公文書を、現在、獨協大学名誉教授の古関彰一さんが発掘し、1981年5月22日号と29日号の『朝日ジャーナル』で記事にしたのである。

実は米軍が自分で書いていた安保条約!
その原案に予言された自衛隊の悪夢とは

 今回、この「指揮権密約」がむすばれた経緯や背景、それが戦後の「日米密約」の法体系全体のなかで、いったいどのような位置づけにあったのかについて調べていくうちに、とんでもないことがわかってきた。

 まずひとつめの事実。それは日米安保条約というのは、実は朝鮮戦争(1950年6月開戦)で苦境に立たされた米軍が、日本に戦争協力をさせるため、自分で条文を書いた取り決めだったということだ。私はいままで書いた本(『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』など)のなかで、「なぜ首都圏の上空がいまでも米軍に支配されているのか」「なぜ米兵の犯罪がまともに裁かれないのか」とくりかえしのべてきたが、米軍自身が書いた取り決めならそれも当然だ。自分たちに徹底的に有利な取り決めを書いているのである。

 そしてふたつめが、みなさんに急いでお伝えしなければならない驚愕の事実。それはいまから66年前に米軍が最初に書いた日米安保条約の原案(1950年10月27日案)、つまりかれらの要求が100パーセント盛り込まれた戦争協力協定が、さまざまな条約や協定、密約の組み合わせによって、いま、すべて現実のものになろうとしているという事実なのである。

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