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 エジプトは軍のクーデターによって、ムスリム同胞団系のムルシ大統領が排除され、その時に軍を率いていたシーシ国防相が2014年5月の大統領選挙で勝利して、大統領となった。同胞団は政府による大弾圧を受けて、バディウ団長やシャーティル副団長などほとんどの幹部が逮捕された。しかし、同胞団の若手メンバーを中心とする「反軍政」デモは延々と続いた。

エジプトの軍事クーデターの後に、カイロで金曜礼拝の後に行われたムスリム同胞団支持者による反クーデター軍デモ=2013年8月拡大エジプトの軍事クーデターの後、カイロで金曜礼拝の後に行われたムスリム同胞団支持者による反軍デモ=2013年8月、撮影・筆者
 今後のエジプト情勢だけではなく、アラブの動向を見通すためにも、同胞団とシーシ政権について考えてみる必要がある。

武装闘争路線をとらなかった同胞団

 同胞団が排除された後で、「アルジェリア・シナリオ」が関心を集めた。

 アルジェリアでは1991年末に実施された複数政党制による総選挙の第1回投票で、イスラム救国戦線(FIS)が8割の議席を獲得して圧勝した。だが、軍部が選挙結果を無効として、FISの幹部らを大量に逮捕した。

 その後、イスラム過激派による武装闘争が始まり、治安部隊との間で内戦状態になり、90年代に10万人以上が死んだ。

 エジプトで民主的に選ばれたムスリム同胞団出身の大統領とその政権が排除されたことで、アルジェリアと同じことが起こるのかどうか、同胞団が武装闘争に入るかどうかに関心が集まった。

 結果的に、同胞団は武装闘争には入らなかった。もし、入っていたら、エジプトは90年代のアルジェリアのようにひどい状況になっていただろう。

 同胞団は100万人ともいわれるメンバーを抱え、選挙で800万票を動員した大組織である。クーデターの後に同胞団関係者に話を聞いても、武装闘争に入ることは全く選択肢に入っていない、ということだった。

 同胞団はナセル大統領の時代に弾圧され、その死後、サダトの時代に「武装闘争放棄」を条件に刑務所から釈放され、社会運動を再開した。同胞団のプログラムに武装闘争が組み込まれていないことから、武装闘争をしようとしても、そのノウハウがないという現実的な理由もあっただろう。

 組織としての同胞団は武装闘争をとらないとしても、一部の若者たちは、同胞団を飛び出して、過激派組織に移っていくことがあるかもしれない。エジプトのイスラム過激派の多くは、同胞団が弾圧された50年代、60年代に生まれたものである。

 しかし、同胞団の主流が武装闘争に行かない理由は、チュニジアの事例を見れば分かる。

 チュニジアでは1987年にベンアリが大統領になり、1991年から同胞団系のナフダ(「覚醒」の意味)への弾圧が激化した。党首のガヌーシはずっとロンドンいた。ベンアリ政権は厳しい警察国家をつくり、ナフダは国内では活動できない状況が続いた。ところが、20年後にチュニジア革命が起こって強権体制が崩れた後、半年後に民主的な選挙が実施されると、ナフダは4割の議席をとって、第1党となった。リビアのカダフィ政権のような過酷な秘密警察国家の下でも、同胞団は秘密組織として生き延び、革命後には、議会の第2勢力となった。 

 同じように、エジプトのムスリム同胞団の戦略も、武装闘争には手を出さず、社会の中で組織を維持して、再起の時を待つという戦略だろう。

厳しい状況にある同胞団の若者たち

 私は、民主的な選挙で選ばれたムルシ政権が、若者たちの反発を浴びて、軍がクーデターに出るすきを与えたことは、同胞団の失政だと見た。団長のバディウ、副団長のシャーティル、そしてムルシは、同胞団の組織重視派で、同胞団だけですべてに対応しようとする傾向が強く、同胞団を含めた市民社会と幅広い協力関係を探る姿勢は弱い。

 2013年6月30日の若者たちの大規模デモで、「ムルシ退陣」を求められた時も、国民投票を実施して国民の判断を問う選択肢もあったはずだが、「選挙での勝利」を錦の御旗として、硬直した対応しかできなかった。クーデター直前のムルシの演説でも「シャライーヤ(正統性、合法性)」を何度も繰り返すだけだった。

軍のクーデターに抗議するカイロ大学の学生によるデモ=2013年12月拡大軍のクーデターに抗議するカイロ大学の学生によるデモ=2013年12月、撮影・筆者
 同胞団は軍と警察に対抗しながら、戦略もなく、ラバア広場で延々とデモを続けた。社会の中で孤立し、武力排除によって数百人の犠牲者を出した。軍や治安部隊がデモを武力排除したことは許されないが、彼らは同胞団指導部の強硬姿勢の犠牲になったともいえる。

 同胞団のメンバーはクーデター後も、反軍政のデモを続けている。同胞団が逆風の中にあることは間違いないが、この困難の下で、同胞団旧世代との決別が進み、世代交代が進むことは同胞団にとって悪いことではない。同胞団の旧世代は、バディ団長のように、ナセル時代の弾圧を知っている世代であり、考え方も伝統的で、上意下達の意識が強い。

 逆に若い世代で、2011年にタハリール広場でエジプト革命を経験した世代は、強権体制を倒すために左派やナセル主義者、リベラル派などほかの政治勢力と一緒に行動した経験を持つ。将来、同胞団が復活してくるにしても、自分たちの組織だけを頼みとするような偏狭な組織重視の姿勢から脱却できるかどうかが課題である。

 いま、同胞団で最も厳しい状況にあるのは若者メンバーである。 ・・・ログインして読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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