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 2014年1月下旬、シリア内戦の終結をめざすアサド政権と反体制派の代表組織「シリア国民連合」による和平協議「ジュネーブ2」がスイスで開かれた。その前にシリアの様子を見ておこうと、ダマスカスに入った。首都はかなり平穏を取り戻しているようだった。

スイスで開かれたシリア国際和平会議「ジュネーブ2」で記者会見するケリー米国務長官=2014年1月拡大スイスで開かれたシリア国際和平会議「ジュネーブ2」で記者会見するケリー米国務長官(当時)=2014年1月、撮影・筆者
 シリア情勢は2012年後半まで反政府勢力に押され気味だったが、2013年6月に政権軍がレバノン国境に近い要衝クサイルを奪回し、反転攻勢に出た。背景にはレバノンのシーア派武装組織ヒズボラの参戦があった。

 私がダマスカスに入った時、反体制勢力が支配しているダマスカス東部や南部では政権軍が包囲攻撃を続けていた。私がカイロからインターネット電話を通じて取材したダマスカス南部のマアダミヤも含まれていた。

 シリアでの取材は、すべて情報省の外国メディア担当を経由することになる。ダマスカスの郊外に出る場合も、要人とのインタビューもすべてである。ただし、ダマスカス市内の許可証を出してくれるので、市中心部に出て、市民の話を聞くことはできたが、情報省に登録した通訳兼案内人を連れて行かねばならない。現代の中東では、最も厳しい報道管理である。

 この時は、最初にアリ・ハイダル国民和解相のインタビューができた。その時、前年12月末にマアダミヤと停戦が成立した、という話が出た。合意後に、国連世界食糧計画(WFP)がマアダミヤに食糧を搬入した、という。マアダミヤは政府の兵糧攻めで子供たちが餓死しているという地域で、停戦の話は初めて聞いた。

 国民和解相によると、停戦によって5000人の民間人がマアダミヤから退避し、3000人の戦闘員が武器を放棄したという。停戦が進めば、電気や水道などの公共サービスも再開し、破壊された建物の再建を始めると語った。

解放区は残すが、戦いは止める

 和解相の話は政府の宣伝だろうと考えて、インタビューの「停戦合意」の部分は記事にはしなかった。ところが、その翌日、

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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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