2016年09月21日
2011年春に内戦が始まったリビアでは、同年10月のカダフィ殺害を経て、2012年7月に選挙が実施され、憲法制定議会が選出された。ここまでは順調に民主化が進んだが、その後、民兵間の抗争が激しくなり、2014年夏以降、政府も分裂し、各地に軍団が割拠する状態となった。武装勢力の対立に政治勢力の対立が結びつき、さらに外国の関与もあった。
私は2013年11月下旬、民兵問題を取材するためにトリポリに入った。1週間ほど前に「民兵反対」を訴えていた市民のデモに民兵が銃撃して、50人近い市民が死亡する事件が起こっていた。
市民からは「民兵は首都から出ていけ」と声が上がった。
トリポリ市評議会議長のサダト・バドリが民兵勢力に退去を求め、市民に「平和的デモ」を呼びかけた。
15日の金曜日にはイスラム教の礼拝の後、1000人近くの市民が、抗争した民兵の一つであるミスラタの民兵が占拠する高級住宅地のガルグール地区に向けてデモをした。
ところが、民兵側から銃撃があり、10人ほどが死亡した。その後、市民も武器を持ちだして戦闘となり、翌16日までに市民47人が死亡した。
ミスラタはトリポリの東200キロにある都市で、ミスラタ民兵は2012年8月の反体制勢力によるトリポリ攻略の際に、同地に迫った武装勢力である。カダフィ体制が崩壊した後も、旧体制の幹部が住んでいた高級住宅地ガルグール地区を占拠していた。
私は、デモ隊の最前列にいて死んだ退役軍人アブドルザク・バフバキ(53)の自宅を訪ねた。
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