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 イラク戦争後の泥沼化の中で、イラク情勢はほとんど顧みられなかった。2011年に「アラブの春」が始まっても、イラクは舞台の外だった。それが2014年6月9日、イラク北部にある同国第2の都市モスルが「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」によって陥落したことで、いきなりイラク情勢が世界のトップニュースになった。

 私はすぐにイラクの入国ビザを申請し、ビザが出てすぐ、バグダッドに入った。「イスラム国」はモスルから南のティクリートを攻略し、さらにバグダッドに向けて南下している。すぐにバグダッドが脅かされることはないと考えたが、バグダッドの様子を見たいと思った。東京本社からバグダッド入りの要請もあった。

緊迫するバグダッド、混み合うミリタリーショップ

 バグダッドに入って2日間、市内を回って取材した。次に掲載するのは「バグダッド・ルポ 近づく戦火に息を殺す市民」というタイトルの記事である。

<「この外国人は何者だ。身分証明書を出せ。日本人か」――自動小銃を持った兵士が車の窓ごしに鋭く問う。バグダッド市内には、いたるところに軍と治安部隊の検問がある。装甲車や機関銃を積んだ車両があちこちに陣取る。いまにも戦争が始まりそうな厳重警戒ぶりだ。

 イラクの首都バグダッドに入った。同国北部の第二の都市モスルがイスラム過激派「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」に制圧され、シーア派主導のマリキ政権に反発する中北部のスンニ派地域で戦闘が広がっている。ISISはバグダッドの北東60キロのディアラ州まで来ている。両派が混在するバグダッドではいつ戦争が始まってもおかしくない。市民は「運命の時」を前に息を殺している。

 「イスラム国」がモスルを制圧した後、事態の悪化を恐れて、出国のため必要な証明書をとるために詰めかけたバグダッド市民=2014年5月拡大 「イスラム国」がモスルを制圧した後、事態の悪化を恐れたバグダッド市民が、出国するための国籍証明書をとるため窓口に詰めかけた=2014年6月、撮影・筆者
 市内の繁華街カラダ地区にある国籍証明所の入り口の前で、午前9時にはすでに300人ほどが並んでいた。出国するために旅券取得に必要な国籍証明を取りにきた人々だ。

 シーア派で高校3年生のハイダル・ラアドさん(19)は自分と母、妹の3人分を申請に来た。イラク戦争後に父母と妹の家族4人でシリアに避難し、9年間を過ごし、11年に帰国した。今回はモスルが陥落した後、旅券の再発行の手続きを始めた。「また戦争になる。シリアは内戦だから、今度はヨルダンに行くと父は言っている」
 一方、市中心部のバブシャルジャのミリタリー用品店が並ぶ一角は若者たちで混み合っていた。防弾チョッキや靴、ヘルメット、自動小銃の部品、ナイフなど。「モスル陥落の後、テロリストと戦うというシーア派の若者たちの顧客が増えた」と店員が言う。

 スンニ派のISISはモスルを制圧した後、「バグダッドに進軍せよ」とする指令を戦闘員に出した。それに対して、シーア派の最高指導者シスター師が「武器を持って、国と聖地を守るジハード(聖戦)に参加せよ」と宣言し、若者たちを聖戦に駆り立てている。

 このような状況で、スンニ派のミニバス運転手はイサム・シュクリさん(47)は「町を走るのが恐ろしい」と一週間前から営業していない。「いたるところに検問があるが、軍の格好をしていても、シーア民兵かもしれない。スンニ派だと分かれば、民兵から拉致されるかもしれない」と恐れを語る。

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「イラク・シリア・イスラム国」がイラク北部のモスルを制圧した後、緊張が高まるバグダッド。軍用品を売っている商店街がにぎわっていた=2014年6月拡大「イラク・シリア・イスラム国」がイラク北部のモスルを制圧した後、緊張が高まるバグダッドでは、軍用品を売る商店がにぎわっていた=2014年6月、撮影・筆者
 イラクではイスラムのラマダン(断食月)が29日から始まった。日中は45度以上の暑さが続くなか、日の出から日没まで飲食を立つ。モスル陥落の後、バグダッドでは人々が小麦や米などの買いだめに走り、一時は、2割から3割値上がりしたという。さらに電力不足で一日のうち電気があるのは8時間程度で、人々は残りの時間は、大型発電機を備えた民間業者から電気を買っている。一カ月1アンペアあたり1万イラクディナール(900円)だったが、このところの物価上昇で5割高になっている。

 電灯と扇風機、冷蔵庫などを動かすためには最低5アンペアは必要で、値上がりは家計を圧迫している。カラダ通りで若者向けの衣料品を売っている店では、店長のアリアリさん(25)が「午前中はまだ一人も客が来ない」と語った。モスル陥落の後、人々は外出を恐れて、カラダ通りにも来ない。「売り上げは8割減だ」と語る。ラマダンはイスラムの聖なる月で、普段は華やいだ雰囲気もあるが、今年は重苦しいラマダン入りになりそうだ。

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 人々の不安をあおるように爆弾テロが起きている。シーア派の聖廟があるカードミヤでは26日夕、聖廟に向かう通りの一つデルワザ門でスンニ派によると見られる自爆テロがあった。爆弾をカラダに巻き付けた男が夕方の買い物をする人々が集まっていた商店街の入り口で自爆した。警察筋によると、回りにいた市民19人が死亡、41人が負傷した。

 27日は金曜日で、カードミヤの聖廟は、普段なら金曜礼拝のあつまる信者で、身動きも取れないような混雑ぶりとなる。この日も礼拝者はいたものの、いつもの混雑はない。聖廟に向かう中央の通りでは人通りはまばらだった。モスル陥落後の戦争の恐れと、前日の自爆テロが影響していることは疑いない。

 27日朝、記者が現場に行った。現場のわきのレストランのドアは吹き飛び、看板が曲がっていた。壁には飛び散った金属片でいたるところに穴があいていた。ちょうど若者たちが現場に名前を書いた黒い幕を掲げていた。犠牲者の一人で露天商フセイン・シャーミさん(22)の友人たちだ。声を上げて泣いていたムスタファ・ハイダルさん(15)は半年前からシャーミさんの下で働いていた。「一緒にここにきて、用事を言いつけられて離れた後で爆発音が起きた。駆けつけると女たちや子供たちが何十人も倒れていた。シャーミは面倒見がよくて、仕事を教えてくれたのに」と言葉を詰まらせた。

 イラクでは2006年から07年にかけてスンニ派とシーア派の間で大規模な宗派抗争が全国に広がった。バグダッドの北120キロのサマラにあるシーア派の聖廟が爆破されたことで、抗争は全国に広がった。シーア派を象徴するカードミヤは繰り返し自爆テロの標的となった。いまは地域全体が高さ2㍍ほどのコンクリートブロックで包囲されている。

 カードミヤの住民の大半はシーア派住民だが少数ながらスンニ派住民も住んでいる。カードミヤの市場で野菜を売っているライラ・マフムードさん(53)はスンニ派だ。3年前にライラさんの露天の近くで車爆弾が爆発した。飛び散った破片が夫の頭に入り、夫はいまでも自宅で意識不明のままの状態という。「爆発はスンニ派とシーア派を区別するわけではない」と語る。「また宗教の戦争なんて考えたくもない。どうか、和解によって解決してほしい」と祈るように言った。

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 バグダッドではスンニ派の町とシーア派の町が隣り合う場所が多い。場所によっては、道路沿いにシーア派とスンニ派の町が交互に並んでいるところも珍しくない。一カ所で衝突が起こると、すぐに隣の町に広がることになる。すでにバグダッド南部で危うい状況が起こっている。

 バグダッド中心部から20キロ南のスンニ派の町ユースフィアで住民と治安部隊の間で25日に戦闘があった。治安部隊がスンニ派のテロ容疑者を逮捕しようとしたところ、衝突になったという。ユースフィアには旧サダム・フセイン時代の軍や治安機関の幹部が住み、強硬なスンニ派勢力がいる。ユースフィアの南のマフムディア、北のアブチールはそれぞれシーア派の町だ。

 同日夕、マフムディアの市場で自爆テロがあり13人が死亡し、45人が負傷した。イラク国営通信はこのときに「迫撃砲弾による攻撃があった」と伝えた。迫撃砲弾がどこからきたかは触れていないが、アブチールの地元警察筋によると、治安部隊の攻撃を受けたユースフィアのスンニ派武装集団がマフムディアに向けて発射したものだという。

 記者は27日朝、アブチールの青果市場を訪れた。市場の関係者はユースフィアで衝突が始まった25日に「青果市場を爆発する」という脅迫が来たと明かした。「ここには農産物を積んだ車が次々と入ってくるため、いつ爆弾テロが起きてもおかしくない」と語った。アブチールでは地元のシーア派の警官がユースフィアに応援に行ったことも分かった。

 ユースフィアの衝突はマフムディア、アブチールというシーア派の町に拡大する様相となっていた。しかし、26日朝、地元のスンニ派とシーア派の地元の部族長らが仲介して、一時的な停戦が成立し、衝突の拡大を食い止めたという。

 ユースフィアの例は、バグダッド市内では衝突が起こりうることを示している。シスターニ師が国民に「武器を持って戦え」と訴えるように、イラクのほとんどの家で自動小銃や機関銃を自衛のために保持している。さらに各地で強い影響力を持つ部族は、対戦車ミサイルや対空砲、迫撃砲などで武装しているのだ。

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 バグダッドではシーア派とスンニ派が混ざって住んでいる地区で特に緊張が高まっている。混住地区の一つの市東部のジャーミア地区に住むシーア派で財務省勤務のジナン・アベドアリさん(42)は、モスル陥落の後、夫が17歳の双子の息子を連れて、イラク南部のバスラに避難した。アベドアリさんは娘2人と残った。「06年の宗派抗争で夫はスンニ派から何度も脅迫を受けて、家族はシリアに逃げました。今回も同じ事が起こるのを恐れたのです。私は仕事もあり、バグダッドを離れるわけにはいかない」と語った。

 アベドアリさんはシーア派だが、「今回のことは全くの政府の失敗だ」とマリキ政権に批判的だ。「いまのイラクは国の体をなしていない。政治家は自分たちの利益しか考えていない。戦いやテロで被害をうけるのはいつも市民だ」

 同じ地区に住むスンニ派の工業省勤務、ナゼル・アフマドさん(35)は「モスル陥落の後、スンニ派とシーア派は疑心暗鬼になっている」と語った。「シーア派はテロを恐れるが、スンニ派住民が恐れるのは、シーア派の民兵たちだ。戦争が起これば、民兵が、スンニ派地域に無差別に攻撃をしかけてくる。民兵を放置しているマリキ首相の責任だ」と非難した。

 首都西部でスンニ派州のアンバール州につながるガザリア地区の年金生活のアフマド・イブラヒムさん(60)は06年に5人の息子のうち一人をシーア派民兵に殺され、2人はクルド地区に避難したという。「今度、戦争が起これば、イラクはおしまいだ。私は家族を守るために家にある自動小銃で死ぬまで戦うだけだ」と言い切った。(2014年6月29日付「中東マガジン」)

武装した護衛と打ち合わせる

 この時は、緊張が高まるバグダッド市内を最大限に動き回ったが、安全対策に細心の注意を払った。地元のイラク人が経営する治安会社に武装護衛を依頼した。

 治安会社から車が1台来て、自動小銃で武装した護衛が乗り込む。私が乗るのは朝日新聞バグダッド支局のイラク人助手の車で、運転手の隣の席には、やはり自動小銃で武装した護衛が乗り、私は、イラク人助手とともに後部座席に座った。何かあれば、治安会社の車が間に入って、私が乗った車は避難する。

 バグダッドの治安状況は毎日変わるので、出発前に最新の情勢を確認して、取材先を決めた。治安会社の運転手と護衛の計4人、私、イラク人助手と運転手の7人ほどで、バグダッドの地図を囲んで、1時間ほど打ち合わせをした。

 まず、昨日と夜の間に何があったか最新ニュースを確認する。治安スタッフやイラク人助手にとっては既知のことでも、私が知らないことかもしれないので、最初から細かな事件まで説明してもらった。

 地図上で、主にスンニ派住民が住んでいる地区と、主にシーア派住民が住んでいる地区、さらに両派が混住している地区を説明してもらう。スンニ派地域でもアルカイダを支持しているような強硬な地区と、そうではない地区がある。混住地区でも、両派の衝突がある場所と、良好な関係の場所もある。

 さらにバグダッド内の幹線道路をたどりながら、危険な地域を示してもらう。バグダッドから外に伸びる幹線道路は、北に行く道も、南に行く道も、西に行く道も、すべて緊張が高まっていた。直截に「どこまで安全に行くことができるか」と聞くと、「ここまでは大丈夫」と治安会社の責任者が言う。その答えについて、イラク人の助手の意見を聞く。 ・・・ログインして読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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