2016年10月04日
イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が2014年まで3回繰り返された。だが、その時々の政治状況によって、様相は全く異なった。
次の攻撃は「アラブの春」の後の2012年11月で、この時エジプトはムスリム同胞団系のムルシ政権だった。攻撃が始まるとすぐにアラブ外相会議が開かれた。その後、アラブ諸国の外相が次々とガザに入り、イスラエルの地上軍侵攻は阻止された。
3回目はそのムルシ大統領が軍のクーデターで排除された後の2014年7月~8月の51日間にわたる攻撃。期間中2205人が死亡し、うち1483人は民間人(子どもが521人、女性が283人)という悲惨な状況となった。
私は2009年1月のガザ攻撃の後、現地に入り、破壊のすさまじさに驚いた。
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