メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[44]殺戮と破壊……イスラエルのガザ攻撃

川上泰徳 中東ジャーナリスト

 イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が2014年まで3回繰り返された。だが、その時々の政治状況によって、様相は全く異なった。

イスラエルの空爆から1年後の2015年にも破壊の後が広がるガザ市のシュジャーイヤ地区=2015年8月、川上撮影イスラエルの空爆から1年後でも破壊の後が広がるガザ市のシュジャーイヤ地区=2015年8月、撮影・筆者
 最初は2008年12月末から1月中旬まで3週間続いた。死者は1400人、イスラエル軍による戦争犯罪の疑いがあると問題になった。

 次の攻撃は「アラブの春」の後の2012年11月で、この時エジプトはムスリム同胞団系のムルシ政権だった。攻撃が始まるとすぐにアラブ外相会議が開かれた。その後、アラブ諸国の外相が次々とガザに入り、イスラエルの地上軍侵攻は阻止された。

 3回目はそのムルシ大統領が軍のクーデターで排除された後の2014年7月~8月の51日間にわたる攻撃。期間中2205人が死亡し、うち1483人は民間人(子どもが521人、女性が283人)という悲惨な状況となった。

悪夢の始まり

 私は2009年1月のガザ攻撃の後、現地に入り、破壊のすさまじさに驚いた。

・・・ログインして読む
(残り:約2772文字/本文:約3173文字)