イラクでヘイト化している宗派対立。だがその奥には屈折した対米感情がある
2016年06月23日
6月17日、イラク政府は「イスラーム国」(IS)に制圧されていたバグダード西部の都市、ファッルージャの奪還を宣言した。5月23日に奪還作戦を開始、6月8日にはアバーディ首相自ら前線を訪れ、「イラクと大シリアのイスラーム国」の落書きの前に立つ写真が、政府メディアで誇らしげに掲載されて、その戦果が大々的に宣伝されていた。
だが一方で、同市に取り残された市民など、同地の非戦闘員の多くに被害が出たことが問題視されている。イラク担当国連人道調整官のリサ・グランデは、ファッルージャ包囲戦に当たって9万人の市民が市内に取り残された、と懸念を表明した。
イラク政府が、市民、とりわけ子どもたちを「人間の盾」にしているとISを非難する一方で、アラブ諸国メディアは、ファッルージャ奪回作戦がシーア派民兵に展開されるばかりか、イラン革命防衛隊がそれを先導していると糾弾している。包囲作戦が、食料などの市内への供給をストップさせることになったことも、非人道的な作戦と批判の対象となった。
ファッルージャ作戦で深刻なことは、戦禍に巻き込まれる市民の被害もさることながら、その是非を巡るイラク政府とアラブ・メディア(とそれを担うアラブ知識人層)との間で繰り広げられている、激しい宗派蔑視的論調の蔓延である。
UAEの衛星放送「アル・アラビーヤ」やサウジ資本の汎アラブ大手日刊紙「シャルクルアウサト」など、主要なアラブ・メディアは、ファッルージャ作戦が始まると、「これはスンナ派に対する戦闘だ」と表現した。
「イラク、イラン、シリアのマイノリティでしかない急進派シーア派がマジョリティであるスンナ派を攻撃の対象にしていることは、恥ずべきことだ」、「ファッルージャの戦いは少数の急進派シーア派による虐殺だ」、「シーア派民兵たる人民動員機構が最も醜い形で宗派主義的殲滅を行っている」…。こういった論調が、サウジやカタールなどアラブ諸国の大手メディアを席巻している。単なる宗派対立という以上の、ヘイト的、排外的宗派主義が、日常茶飯事化しているのだ。
一方で、イラク政府の側も、戦闘における宗派性を払拭できていない。
そもそもISがモースルを制圧した2014年6月、モースル防衛にまったくといっていいほど効果を上げられなかったイラク国軍に代わり、政府与党やシーア派諸政党がこぞって、IS対策にシーア派義勇兵の徴募を開始した。
とりわけ、シーア派宗教権威であるアリー・アルスィスターニー師が広く信者に国土防衛を呼びかけたことによって、ISに対する戦いが、容易にシーア派社会(特にシーア派の聖地)を守る戦いと混同されて認識されることになった。
ISのモースル制圧から2日後には、バグダードとシーア派聖地カルバラーの間にある都市ラーティフィーヤで137人のスンナ派住民が殺害される事件が発覚したが、これが、ISがスンナ派各地でイラク軍のシーア派将兵を殺戮したことに対する報復とみなされ、スンナ派社会の間でシーア派義勇兵への不信感が醸成された。
だからこそ、アバーディ政府はISとの戦いにおいて、シーア派義勇兵勢力が前面に出ることに慎重たろうとしてきた。
スィスターニーが呼びかけて成立した人民動員機構は、その経緯からシーア派の若者を大量に動員したが、シーア派への偏向とのイメージを避けるために、スンナ派、特にアンバール県地域の部族勢力を動員する努力が続けられた。
2006-7年のイラク内戦期に、アンバール県で活動を活発化させていたアルカーイダを掃討するためにスンナ派の部族勢力を起用して「覚醒評議会」を組織化したように、ドレイミー部族の一部を政府側につけて、人民動員機構に参加させたのである。
だが、2015年4月にティクリートをISから奪回する作戦を展開した際には、人民動員機構のシーア派兵士が解放した住民の財産を奪ったり、報復行動に出たりといった行動が目に余った。また、シーア派兵士が作戦合図にシーア派を礼賛するようなスローガンを繰り返したことが、宗派蔑視をむき出しにしているとして、スンナ派の反感を呼び覚ました。
そうしたことから、スンナ派住民の間には、ISよりもシーア派兵士の暴行が心配だとして、消極的にIS支配に甘んじざるを得ないムードが蔓延したのである。そのため、2015年12月末のラマーディ奪回作戦では、主として人民動員機構に参加ないし協力したスンナ派部族が主力となり、シーア派兵士は後方に留まっていた。
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