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ホロコースト生還者、エリ・ヴィーゼルの死に思う

記憶と教訓をどう伝えていくか

徳留絹枝 ウエブサイト「捕虜:日米の対話」「ユダヤ人と日本」管理者

 ホロコースト生還者でノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼル氏が7月2日、死去した。87歳だった。少年時代の強制収容所での体験を綴った『夜』をはじめ数多くの著書を発表し、平和・人権運動にも熱心だった。

国際会議「希望の未来」  基調講演するウィーゼル財団のエリー・ウィーゼル理事長=東京都渋谷区の国連大学で拡大国際会議「希望の未来」で基調講演するエリ・ヴィーゼル氏=1995年12月、東京都渋谷区の国連大学で
 今やワシントンの名所となり、安倍首相も昨年(2015年)訪問した「合衆国ホロコースト記念博物館」には、設立委員会の初代会長を務めたヴィーゼル氏の思想が深く反映されている。

 For the dead and the living, we must bear witness.

 彼が訴えたのは、ナチスにより殺戮された600万人のユダヤ人と数百万人の非ユダヤ人を記憶するだけでなく、その記憶と教訓を将来の世代に伝えることの大切さだった。

 そしてヴィーゼル氏は、ホロコーストの教訓を語るだけでなく、カンボジア、ボスニア、ルワンダなどでの大量殺戮にも抗議の声をあげ続けた。彼にとって、“愛”の反対語は“憎しみ”ではなく“無関心”だった。

一番心に残った言葉

 私は20年ほど前、ホロコーストに関するインタビュー集を書くため、生還者や歴史家、そしてその教訓を伝える人々を訪ね歩いた。戦後「ナチハンター」として生きた故サイモン・ウィーゼンタール氏、米議会唯一のホロコースト生還者だった故トム・ラントス下院議員、杉原千畝氏のビザで救われたシカゴマーカンタイル取引所名誉会長リオ・メラメド氏など、思い出は尽きない。

ウィーゼンタール氏と1996年ウィーンで拡大ウィーゼンタール氏と筆者=1996年、ウィーンで
 特に、戦犯を探し出すことの意味を説明してくれたウィーゼンタール氏の言葉は忘れられない。

 「裁判が開かれれば、50年前の犯罪であっても、人々は報道を通してその全容を知ることができます。それは、将来の殺人者に“犯罪者は最後に必ず裁かれる”という警告を発するためにも重要なのです。もしこの先、ホロコーストのような悲劇が繰り返されるとしたら、それは将来の殺人者ではなく、歴史の教訓を伝えなかった私たちの責任なんですよ」

 ヴィーゼル氏にも、彼が教鞭を取っていたボストン大学で面会し、クラスも聴講させてもらった ・・・ログインして読む
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筆者

徳留絹枝

徳留絹枝(とくどめ・きぬえ) ウエブサイト「捕虜:日米の対話」「ユダヤ人と日本」管理者

シカゴ大学で国際関係論修士号取得。著書に『忘れない勇気』『命のパスポート』(エブラハム・クーパー師と共著)など。2004年よりバイリンガル・ウエブサイト「捕虜:日米の対話」運営。現在、ウエブサイト「ユダヤ人と日本」も運営。旧日本軍の捕虜となった米兵に関する著書を執筆中。