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[12]キューバのWiFi事情と「パソコン男」

板垣真理子 写真家

 ここ数年、また昨年(2015年)から今年にかけてのIT関連のもろもろは、キューバ国内で驚くほどの変化を遂げた。まだまだ不便ながら、「それ以前」との差は、ものすごいものがある。

携帯で音楽を聴く人も多い拡大携帯で音楽を聴く人も多い=撮影・筆者
 まずは携帯電話の普及率のすごさ。このあたりは少しアフリカと似ている。発展途上で、けっしてモノやお金が溢れるほどあるわけでもないのに、皆、携帯が大好きで持っている。

 家の電話ももちろんあるのでけっして単に電話が欲しい、というだけではなくて、携帯が好きなのだ。ゲームもやり、音楽も聴いていて、そのあたりはきっと私より詳しい。携帯電話を肌身離さず持ち歩く姿はほぼ日本の人と同じ。路上で、バスの中で、家の中で。声量のある大きな声がばんばん響いている。

WiFiに喜ぶのは早かった……

 なにより驚いたのは、2014年の終わり頃、私がキューバに住もう、と決めた大きな理由の一つになったのが「WiFi」が使えるようになったこと。キューバで使える? だったらあちらで仕事ができるのではないの? 実際に来てみればその不便さはかなりなものながら、「使える」コトに変わりはない。

 どのように使うか。ざっと説明すれば、タルヘータと呼ばれるカードを購入し(これが時にはものすごく並んで待つ。少し奮発すれば、値段が高めながら闇のカードが買える。今のところインチキにあったことはない)、銀色の塗料の部分をコインなどで削ってでてきた番号を、パソコンのネットに繋いだ後、書き込んでWiFi接続をする。「する」と簡単に書いてしまったが、時にはこれがなかなか繋がらず、苦労する。

公園でずらりと並んだ,wifiが使える人々。実は最近皆でシェアして安くあげる方法もあるらしい。筆者も知らない、裏の手、いろいろ。感心する拡大公園にずらりと並んだ、WiFiが使える人々。最近は皆でシェアして安くあげる裏の方法もあるらしい。感心する=撮影・筆者
 「うわぁ、WiFiがあるの!」とシンプルに喜ぶのは早かった。

 しかし、2015年、私がキューバに住み始めた当初はホテルなどの決まった場所でしか使えなかったのに、今は街角の公園などさまざまな場所にWiFiが飛んでいて、人々はそこに集って熱心にパソコンや携帯の画面とにらめっこしている。

 つながり易い場所とそうでないところがあり、ホテル内部は快適だが、繋がりにくいところが多い。しかも、以前はものすごく高かった。外のWiFiのほうは、今は1時間200円~300円で、そう聞けば安く感じられるかもしれないが、かなり繋がりが遅いのであっという間に終わってしまう。

「新しい」人種の「一人語り」

 さて、こうして皆がITの世界に没入しているキューバだが、まだまだパソコンの普及率は高くない。FBまでやっている人は少ないので、FBで情報を交換したり友達として繋がる、というのはまだ一般的ではない。

 そういう状況の中、ある街角の路地裏でコツコツと一人でパソコンをいじり、分解し、もろもろの設定までできてしまっている男がいる。パソコンの普及率の低さから見ると、かなり「新しい」人種。この人が抱えているパソコンはかなり旧いけれど。

バソコン男。 
写真で見ると綺麗な部屋に見えるが,実際はちがう。かなり古びた家だ
拡大「パソコン男」。綺麗な部屋に見えるが、実際はちがう。かなり古びた家だ=撮影・筆者
 珍しく思い、さっそく話を聞いてみると、ITやパソコン以外で面白い話がどっさりと出てきた。

 どうやら「一人語り」が好きな人のようで、こちらが聞きたいと思った質問にはまともに答えず、自分の喋りたいとおりにしか話さないので、その流れに沿って、書いていこうと思う。

 僕の人生には、本当にさまざまなものがやってきた。最初は絵が好きだったから、がんがん描いていたよ。10歳くらいの時には日本のアニメの「火の鳥」が好きになり、ずいぶん影響を受けた(日本のアニメはキューバで、ものすごい人気です)。

 でもその後、知り合いの女の子がピアノを弾いているのを見て憧れ、ピアノをやり始めた。譜面がないから国立図書館へ行き、コピーをしたりした。

 その後二つの学校へ行き(キューバでは、学校に通うのは無料)、言語と経済を学んだ。その時、英語ができるようになった。1995年(と言えば、キューバがスペシャル・ピリオドと呼ぶ大変な時代)、卒業してからジュース工場の会計士をやったけど、変なゴタゴタがあって全員辞めてしまい、僕一人が残った。ものすごい仕事量なのに給料が支払われないから、僕も辞めた。

 ホテルのコック見習いの募集があったので、興味を抱き、入った。外国語ができること、という条件だったのでラッキーだった。いろいろなホテルで仕事をしたけど、最後に行ったのは、「オテル・ナショナル」。

 僕は、あそこは嫌いだ(この高級ホテルを嫌うキューバ人は多い。かつてキューバ人を締め出していたからだ。今は一応、門戸は開いているけど、キューバ人には居丈高な雰囲気が強く感じられるのだろう)。人々が大変な生活をしていて、食うや食わずの生活をしているのに(当時)、余った食べ物を簡単に捨ててしまったり。どうにも矛盾に耐え切れず、辞めてしまったんだ。

 その後、電気関係の仕事に就いたのは、友人がコネクションを持っていて、教えてくれたからだ。建築会社の電気系統の仕事をして、当初は払いが良かったのにすぐに悪くなってしまい、僕にも、その頃奥さんと子供がいたので葛藤があったよ。しかし、ついに離婚してしまった。僕の人生、なんとかしなくちゃ、と始めたのがツーリストの案内(筆者が勝手に付け加えれば、旅人が歩いていると声をかけてきて「案内しようか」とお金を稼ぐ、あの人たちの一人です。いい人もいれば、あまり良くない人もいます。彼はたぶん、いい人の部類だったのでは、とこれも勝手に想像しています)。

 しかし、人生って面白いものだね。これがやっとパソコンにつながるんだ。僕は捕まったんだよ。悪いことをしていないのに(キューバ人男性は外国人と歩いていると「ヒネテーロ」と間違われる。ヒネテーロは、直接的には、男娼(娼婦はヒネテーラ)を指す言葉だが、もともとは性的意味合いではなく、外国人などに「たかる」人のことを指す。そうだとみなされると、あっというまに「捕まる」。有無を言わせず)。

 その時は、ヨーロッパから来た男性ばかり数人の旅行者を案内しながら楽しく歩いていたんだ。もちろん双方の了解のもとで、だよ。なのに捕まってしまった。ここはね、「色」が大きく関わっている。そう、「色」。ほら、僕の肌の色は濃いだろう? ここなんだよ。ここで判別されてしまうことが多いんだ。

 そう言われれば、以前、仲良くなったバンドのメンバーの一人、ほぼアフリカンの肌をした彼が、皆で外で酒盛りをしていた時に「トイレに行きたい」という私を案内しようとして「あ、ヒネテーロに間違われないかな」と危惧していて、驚いたのを覚えている。

 また、私の友人の日本女性から、キューバ人と歩いていて警官から「いつから親しいのか」と聞かれて「今日」なんて答えたら捕まってしまうのよ、と教えられたことがある。もちろん捕まるのはキューバ人のほう。「人種差別のない」はずのキューバの神話が崩れる瞬間だ。だから、「10年前から知っている仲のいい知り合い」とか言わないといけない。

 で、捕まった僕は、なんとか身の潔白を証明しなくちゃ、という状態だったんだけど、幸いこの旅行者の人たちがものすごく頑張ってくれて、僕は釈放された。……そして、その旅行者が「自分たちのせいで捕まったお詫びに」とくれたのが、パソコンだったわけさ。

 最初はぜんぜんわからなかったけど、いろいろな方法で学んだ。友人から教えてもらったし、ソフトウェアをインストールする方法などを学びながら、そこからパソコンのことを学んでいった。今は、修理したり、旧いパソコンをセットしなおしたりして仕事にしている――。

 たいしたものです。このほかにも彼からは、少しヤバめの、しかし、一般キューバ人たちが「なんとか、やり過ごしてきた」スペシャル・ピリオドの話も聞けたが、長くなりすぎるので、このあたりで。それについてはまた、機会があれば書きたいと思う。

*連載は今回で終わります。

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筆者

板垣真理子

板垣真理子(いたがき・まりこ) 写真家

1982年、ジャズ・ミュージシャンの撮影から写真の世界に入る。以後、ナイジェリアをはじめとしたアフリカ、南米、カリブ、アジアなどを取材。著書に、『キューバへ行きたい』(新潮社)、『ブラジル紀行――バイーア・踊る神々のカーニバル』(ブルース・インターアクションズ)、『武器なき祈り――フェラ・クティ、アフロ・ビートという名の闘い』(三五館)など多数。