2016年08月30日
植民地時代に生じた近代化を無視することは、1945年をまたぐさまざまな継続性を軽視しがちな傾向とつながっている。近現代史博物館の「韓国の建国(1945-60)」と題された第2室の展示にかぎらず、韓国戦争記念館や独立記念館でも、こうした軽視は明らかにみてとれる。
これらの3つの博物館では、1945年8月15日(解放記念日)を、朝鮮史が先の植民地時代からたもとを分かった「再出発の日」ととらえている。同様に、これらの博物館は、帝国日本とのつながりで汚染された連続性を強調するのではなく、場合によっては無理やりにでも、1945年以前のかぼそい英雄的な歴史とのつながりに光を当てようとしている。
1945年をはさんだ韓国の植民地時代と共和国時代の継続性は、組織面や人員面をみても、はなはだ多岐にわたっており、それらは日本の植民地当局者との協力という、とりわけやっかいな問題と密接な関係をもっていた(韓国人はそうした協力者を「親日派(チニルパ)」と名指ししている)。
こうした継続性は警察制度から教育制度にまでおよんでいる。解放後の韓国の産業化でも、大企業の成功物語は、その多くは元をたどれば、植民地時代の産業資本主義的環境のなかで成功を収めた韓国人経営者にいきつく。
しかし、愛国的な手法で韓国の歴史を語るさい、植民地時代からの継続性のなかでも、とりわけやっかいな問題は、
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