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[2]社会の分断化にどう対応していくのか  

デモクラシーを通じた社会統合

齋藤純一 早稲田大学政治経済学術院教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、3月18日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

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進む社会の分断化

 5番のスライドに移ります。このように社会の脱統合化が進んでいる、分断が深まりつつあるという事実があります。

 これは1990年代の話ですが、「Aチーム」、「Bチーム」、「勝ち組」、「負け組」、あるいは「3分の2社会」、「3分の1社会」という表現がありました。非正規雇用の割合が当時、3分の1くらいでした。いまは4割になってきています。ある人の言い方を借りれば、社会の「再階級化」が進んでいる。

 イギリスの首相をやっていたディズレーリ、そしてエンゲルスが、19世紀の半ばですけれども、「私たちはまだ一つの国民になっていない。イギリスには二つの国民(two nations)がいる」と、似たような言葉で当時の社会を表現していました。二つの階級に間に根深い分断があることを、右の人も左の人も問題にしていた。それと同じような状況がまた出てきていると見ても、あながちでは間違いではないという感じがします。

三つの対応策

 こういう社会の分断化に対して、どういう対応があるのか。三つの対応策を挙げておきました。一つは、一応「3分の2」と「3分の1」にしておきますけども、これらを分離しながら、これらの間に均衡状態をつくっていく。で、問題は「3分の1社会」が「3分の2社会」に及ぼすリスクをコントロールしていく。治安管理を強化して、「3分の1社会」が、括弧つきの「まともな」社会に及ぼすリスクとか脅威をコントロールしていく、こういう社会のイメージです。これは安定性を導く対応ではないと思います。

 それとは違って、一つの社会のまとまりを取り戻すというときに、二つの立場を考えることができます。一つは先程挙げました国民戦線のように、もう一度その国民的な同一性を回復していく。同じ国民の仲間という意識や感情にもとづく統合を取り戻していく。カール・シュミットによれば、国民の同質性をそなえた国家が、正常な国家であって、逆にハイブリッドな社会というのは異常な国家である。これは彼の『政治的なものの概念』に書かれていますが、そういう国民にとって異質なものというのは否定してよい。国家を正常な姿にするためには、否定すべきであると。

 これほど極端ではない立場に、リベラル・ナショナリズムと呼ばれる近年の思想があります。デイヴィッド・ミラー、イギリスの政治思想家が代表的な論者です。それに加えてイスラエルの文部大臣を務めたヤエル・タミール、アイザイア・バーリンの弟子ですが、彼女もリベラル・ナショナリズムに挙げられる思想家です。

 どう考えるかというと、やはりマジョリティの文化を軽視することはできない。社会の統合というのは、この国民の大多数というか、少なくとも多数を占めているメジャーな文化に基礎を置くべきである。ただこうした多数派が、少数派に強制的に同化圧力をかけたり、排除したりしていくことはやるべきではない。少数者に対して寛容なマジョリティ、これが今後の多元的社会のビジョンであるというのが彼らの立場です。

 いずれにしても、「我々」というアイデンティティがないといけない。人に資源を再分配する、あるいは少数派の声を傾聴する、こういう動機づけが働かなければダメなんだ。「我々」というアイデンティティがあって初めて、資源を困っている人に分配する、彼女の声をノイズではなくて、ちゃんとヴォイスとして聞く、そういう動機づけが働くんだと。国民性を再度強化しなければ分断は避けられないというのが、この人たちの考えです。

 いま三つの立場を挙げました。それでは、社会の再統合に向けて、強固なナショナル・アイデンティティに訴えるのか、それともそういう国民的なものを相対化し、想像上の「国民同胞」に訴えない、そういう社会統合を考えていくのか。大きく二つの道があるかと思います。いま、リベラル・ナショナリズムの話をしましたが、ナショナル・アイデンティティを強化したら社会はよくなるかというと、その保障はない。

 例えばイギリスのサッチャーを思い出していただきたいと思います。フォークランド紛争とかがあって、イギリスの対外的なアイデンティティは非常に高まった。じゃあ彼女が国家の内部で、再分配を行ったかというと、逆ですよね。再分配機能を弱めていった。税も人頭税、一人頭いくらという形でかけようとしたわけです。これは、レーガンやブッシュについても言えます。

普遍性からずれ、特殊性を強調する自民党憲法改正草案

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 ここで社会統合のビジョンという観点から自民党憲法改正草案に簡単に触れておきたいと思います。これは、どう見ても、我々の特殊性を強調して、国民のアイデンティティを立ち上げようとする、そういう方向に傾いています。改正草案の前文には「長い伝統と固有の文化」という言葉が出てきます。これは、いまの現憲法が立脚している普遍主義とは違います。

 ご承知のように、日本国憲法の前文のいう「我々」は、世界に開かれています。自民党憲法改正草案というのは逆に「我々」が他とどう違うか、これを強調しようとしている。この会の共同代表のお一人である樋口陽一さんが「自民党憲法改正草案というのは明治憲法よりも悪い」と言っています。明治憲法はその当時の普遍的なものにコミットしようとしている。ところが、改正草案はそうではない。普遍的なものから自分を引き離そうとしている。明治憲法よりも悪いというのはそういう意味です。

 現憲法の理念に沿ったもう一つの社会統合の方向は、特殊な我々に訴えるのではなく、むしろ普遍的な価値をいかにこの国家において実現していくか、という関心にもとづくものでしょう。市民権、参政権、社会権、文化権、こういった権利を共有する制度を通じてあらためて互いに保障しあう、という方向です。

 権利として具体化される、そういう普遍的な価値が実感できれば、私たちは何も想像上の民族同胞によりどころを求める必要はないでしょう。現実の市民が、制度を共有する市民が制度を媒介として、お互いの生活条件にコミットしあう。そのことを通じて、連帯を再形成していくことがいかにして可能か。困難ではありますけれども、ナショナルな再統合の限界はあきらかだと思います。

デモクラシーをどうやって正当化していくのか

 7のスライドをお願いします。社会統合にとってデモクラシーはなぜ重要かというお話をしたいと思います。デモクラシーという政治体制は、私たちは当たり前と考えているわけですが、他の政治体制、貴族制とか、君主制とか、あるいはtechnocracyとかplutocracyとか、そういったほかの体制と比べて、どこにメリットがあるのか。それを考える必要が理論的にはあります。デモクラシーをどう正当化するかは、いま研究上一つの重要な論点になっています。

 この点についてごく大づかみにお話しすれば、デモクラシーの三つの特性を挙げることができると思います。一つは排除しない、だれかの観点を排除しないということですね。包摂的(inclusive)であること。それから2番目に、だれかに対して特権を与えない。例えば金を持っている人とか、専門知識を持っている人に、特別の発言権を与えないということ。

 ジョン・スチュアート・ミルは、労働者に選挙権が与えられようとしている、そういう時代の文脈において、 ・・・ログインして読む
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筆者

齋藤純一

齋藤純一(さいとう・じゅんいち) 早稲田大学政治経済学術院教授

早稲田大学政治経済学術院教授。政治理論。著書に『公共性』(岩波書店, 2000年)、『政治と複数性——民主的な公共性にむけて』(岩波書店, 2008年)、 訳書にアーレント『アイヒマン論争』(共訳, みすず書房, 2013年)など。デモクラシー論と平等論の接点に関心がある。

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