過剰な「脚色」と「ファンタジー」
2016年09月14日
映画やドラマをめぐる「歴史歪曲」論争は、昨日や今日始まった問題でも、韓国に限ったことでもない。特に映画とナショナリズムの関係は古典的なテーマであり、ハリウッドや日本映画でも多くの作品が議論の対象となってきた。自国の視点のみで映画を作れば、客観性は失われやすい。
2月末に公開された『鬼郷』という映画も、これを青少年に団体で見せるのはどうかという意見を、韓国の学校に子供を通わせる日本人の母親から聞いた。
『鬼郷』はいわゆる「従軍慰安婦問題」をあつかった映画なのだが、一部の学校や職場などで団体観覧が行われ、それを「賞賛」するような報道もされた。
「残酷な場面では、韓国人の友達が娘に目隠しをしたり、とても気を使ってくれたそうです。本当に優しい子たちです。でも、映画の内容をそのまま全て事実だと思ってしまうでしょうね」
冒頭に「この映画は事実に基づいて作られた」という一文が登場する。しかし、どこまでが事実なのかフィクションなのかの見極めは難しい。また、その「事実」は元慰安婦女性の「証言」に依ったものであり、ならば「証言に基づき」と書くべきではないかという意見もある(これに関しては5月号の『文藝春秋』に、韓国人ジャーナリストの崔碩栄氏が、詳しいレポートを寄せている)。
「従軍慰安婦問題」は日韓両国の政府が認める事実だけでも十分に残酷な歴史であり、あえて脚色を加えなくてもいいのでは、と私個人は思っている、事実関係の実証がない過剰な脚色は、逆に全体像への信頼を失する恐れがあるからだ。現に日本人の一部には、細部の事実関係にだけ執着して、全体の反省をないがしろにする向きもある。扇動的な映画、プロパガンダ的な映画にかぎらず、啓蒙的な映画においても、脚色は効果より弊害が心配になる。
[11]韓国で映画をめぐる歴史歪曲論争(上)――「歴史歪曲」か「フィクション」か
ところで、映画『徳恵翁主』は、冒頭から「この映画はフィクションである」ことが明示されている。ただ、韓国人にとってあまりに過激な「逸脱」だった。
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