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イラク軍によるモスル奪還作戦への懸念(下)

多くの波乱要因を抱えるシーア派民兵とスンニ派部族

川上泰徳 中東ジャーナリスト

 過激派組織「イスラム国(IS)」に支配されたモスルのイラク軍による奪還作戦で最大の懸念は、シーア派民兵の戦闘への参加である。今回の作戦にも、シーア派民兵が動員されているとされ、IS支配下にあるスンニ派民衆は、ISとシーア派民兵の間に挟まれた形となっている。

イラク軍とISの激しい戦闘で損壊したファルージャ市街地の建物201609拡大イラク軍とISの激しい戦闘で損壊したファルージャ市街地の建物=2016年9月
 シーア派主導のイラク政権による対IS作戦については、今年6月にあった首都の西60キロにあるファルージャ奪還作戦で、シーア派民兵によるスンニ派民衆の虐待が問題になった。

 人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」の報告書によると、イラク連邦警察と民衆動員部隊が、ファルージャ北部のある村から逃げてきた10人以上を処刑したという。その時の生存者が地元テレビの取材に答えて、住民は男女に分けられ、男性は一列になってイラク部隊の前で行進させられ、少なくとも17人が銃殺された、と説明した。

 2015年3月のティクリート奪還の際も、ISを排除した後にシーア派民兵による報復的な大規模破壊がティクリートや周辺の町村で行われ、さらに民衆に対する殺害や暴力も報告されている。

 当時、クルド系ニュースサイト「ルダウ」には、アンバル州のラウィ知事の詳しい発言が出ており、「生存者の証言によると、スンニ派住民は、シーア派民兵組織『民衆動員部隊』に拘束され、殺害、拷問、監禁などの犠牲になっている。多くの人々が生きてファルージャを出たのに、行方不明になっている」とし、「このような行為は、奪回作戦に傷をつけ、全体に悪い影響を与える」と警告している。

 アバディ首相は事件の捜査を約束していたが、ラウィ知事が声明を出した翌日、政府が、殺害に関わった複数の人間を逮捕したことを明らかにした。

シーア派民兵への恐怖

 シーア派民兵は、政府に参加する各シーア派政治組織が抱えており、バドル軍団、アルハック連合、サラーム軍団などいくつもの組織がある。武器や資金面ではイランの革命防衛隊の支援を受け、その指揮下にあるという。

 シーア派民兵はモスル陥落の後、「民衆動員部隊」と総称されるようになった。ほとんどのシーア派民兵組織は、サダム・フセイン政権下での反体制シーア派組織の軍事部門で、イラク戦争での政権崩壊後にシーア派政治組織とともにイラクに入った。

 2006年、イラクでシーア派とスンニ派の宗派抗争が始まると、シーア派民兵組織は当時の「イラク・イスラム国」による爆弾テロなどからシーア派民衆を守るとして、バグダッドのスンニ派地域を襲撃したり、スンニ派部族のリーダーを拉致・暗殺したりしてスンニ派民衆から恐れられた。モスル陥落時の首相だったマリキ氏は、首相時代に民兵組織のアルハック連合と強い関係を結んで、強権的な政権運営を行った。

 モスル陥落の後、スンニ派から批判が集まっていたマリキ氏は首相を辞任し、「宗派の和解」と国民統合を掲げたアバディ首相が就任した。アバディ首相はスンニ派への宥和政策をとっているが、行政の不効率や腐敗への国民の怒りが収まらないまま、一方で、IS支配地域の奪還作戦を強硬に進めてきた。

 私が連絡をとったイラク政府の治安情報部門に近いスンニ派の人物(A氏)は、

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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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