2016年12月02日
11月22日(火) 早朝、自宅で寝ていて強い地震の揺れを感じた。揺れの時間が長くて嫌な感じがした。ところが僕は時差ぼけのこともあって、これが現実のことなのかひょっとして夢なのかしばらくぼーっとしていた。そして再び浅い眠りに陥ってしまったのだ。
NHKのアナウンサーが津波の到達を繰り返し告げていた。「今すぐ逃げてください」「東日本大震災を思い出してください」「できるだけ早く高い場所に逃げてください」と尋常ではない強い口調で呼びかけている。その緊急性が視聴者に突き刺さってくるような放送だった。
番P(番組プロデューサー)と連絡をとって、すぐに出張できるように支度を整えて局へと向かう。電車のなかで、あの日のことを自分たちは(とりわけマスメディアは)どれだけ忘れないように報じ続けてきたかに自責の念がわいた。あれはもう終わったと、なかったことにしていなかったか。東京五輪をやっている場合か。原発を再稼働して、古い原発の稼働年数を40年以上に延長している場合か。そういうもろもろの現実が目の前に次々と見えてくる。自分たちの足元が揺らぐ事態を直視すること。
局について定例会議もそこそこに、Kディレクター、Fカメラマンらとともに福島県をめざして車で出発。まだ陽の出ている時間帯に着くようにと、富岡町の汚染土などが詰まったフレコンバッグが積み上がった海岸地帯へと向かう。ここに来るのは1年9ヶ月ぶり。荒涼たる風景が広がっていた。避難指示解除準備区域で午後4時以降は立ち入りができない。
わずかに居残っていた作業員の人々に地震発生時のことなどを聞き歩く。さらに広野町へ。偶然にも以前、仮設住宅取材の際にお会いした大和田高男さんに路上で出くわした。びっくり。広野町の復興住宅の住民らや広野町役場の対応を取材。復興住宅のおばちゃんたちは口々に「おっかなかった」と話していた。屋外に何人かが集まって井戸端会議のような感じで話してくれたのだが、それをどこかから見ていた近所の住民が「揚げパンです、寒いから食べて」と言って差し入れをしてくれた。ありがたいなあ。
11月23日(水) ホテルで朝食をとっていたら、宿泊客に明らかに原発関係の人々がいた。
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