ただ時流に乗った外交は漂流しがちであることを戦後日本の外交史は物語っている
2017年01月03日
戦後七〇年余に登場した首相は、敗戦直後の東久邇首相から今の安倍首相まで計33名にも及ぶ。その中から17名の首相を選抜し、各首相の外交思想に焦点を当てたのが編著『戦後日本首相の外交思想』(ミネルヴァ書房)である。戦後の歴代首相をテーマとする専門書は数限りないが、首相の「外交思想」という視座から取り組んだ研究書は本書をもって嚆矢(こうし)とするであろう。
ここでの首相選抜の基準は単に在任期間の長短にかかわらず、戦後史に名を刻んだ首相であったか否かである。つまり首相個人の思想や行動に独自性が発揮されたかどうか、日本外交上のターニングポイントとなった重要時期に指導力を発揮できた首相かどうかを重視したのである。
その結果、吉田茂、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、海部俊樹、宮沢喜一、村山富市、橋本龍太郎、小泉純一郎の17名をラインアップしたが、たとえば竹下登とか小渕恵三など、適切な研究者が見当たらないために断念した首相もいる。
さて新憲法下、戦前の明治憲法時とは比較にならないほど権限を強化した戦後の歴代首相は、おおむね三期に区分できる。すなわち、第一期は1940年代後期から50年代末までの「日本復興期」であり、吉田から岸までの5名となる。
この第一期に通底する外交課題とは、国家再建の推進、占領体制から独立体制への移行、国際社会への早期復帰、独立を果たした東南アジア諸国や対立する共産圏諸国との国交正常化であった。いすれも至難かつ遠大な事業であり、恐らく誰が首相の座にあっても苦行を強いられたであろう。
第二期は60年代から80年代に至る「日本の発展期」であり、池田から中曽根までの7名が該当する。60年代は奇跡といわれた高度経済成長期であり、苦難の50年代から一転して明るい時代となる。続く70年代、80年代はさらに日本の経済力の飛躍的発展により、日本は国際社会の中で自他共に許す経済大国の地位を占める。
この三十年余の日本の国家目標は、経済大国化にともなう経済外交の推進、米欧先進諸国との同質化と国際的地位の確立、アジア諸国との経済貿易面における指導的役割の強化にあった。
そして第三期は90年代から2000年代前半までの「日本の変動期」であり、海部から小泉までの5名となる。
この時期はまだ十分歴史化しておらず、日本政府の外交文書も大半が未公開であり、客観的な実証研究が困難な状況にある。とはいえ、現今を見据えれば、1990年代初頭の冷戦終結時に国際社会が予想した、国連中心の安定した〝ポスト冷戦論〟が誤りであって、中東・東欧・アフリカでは地域紛争が多発し、国際的なテロ事件も頻発するなど、宗教とナショナリズム、資源問題と環境問題が二重三重に交錯する混乱した国際情勢を生むに至った。
この間の日本外交は、激変する国際環境に翻弄(ほんろう)されながら、従来封印してきた安全保障問題に正面から対処せざるをえなくなった。90年代の湾岸危機・戦争、北朝鮮の核・ミサイル脅威、台湾海峡危機、2000年代初期の9・11同時多発テロ、アフガン・イラク両戦争などのキナ臭い現実に直面し、もはや世界は日本の静観を許さなくなったわけである。もっとはっきりいえば、アメリカを中心とする国際社会は経済大国日本の責任を問い、義務の履行を求め、「もはや中途半端な対応は許されない」と強く迫ったといえる。
以上のような歴史的文脈を踏まえるならば、本書の編者として、第二期の日本の経済発展期における大平外交と中曽根外交に注視せざるをえない。なぜか。それは両外交がともに日本の国力の増大を客観視し、国際的変容という事実認識に基づいて、日本外交の基底をなした〝吉田路線〟を修正する方向へと大きく舵(かじ)を切ったからである。
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