北方領土問題の歴史的、法的側面も議論を
2017年01月04日
日ロの平和条約問題を安倍晋三首相が「私たちの世代で決める」という持論であくまで進めた場合、国後、択捉はおろか、1956年の日ソ共同宣言に定められた歯舞、色丹の2島引き渡しすら、平和条約を結んでもただちに実現しない可能性も出てくる――。2016年12月の山口と東京での日ロ首脳会談を受け、前回の記事でこう書いた。
日ロ首脳会談、「私たちの世代で決める」危うさ――北方領土問題も大胆な経済協力も、安倍首相の任期中にできるのか?
なぜ、このような展開になってきたのか。やはり安倍首相が、今度の訪日で首脳会談が16回に達したプーチン氏との個人的信頼関係に主軸を置いて日ロ関係を進めてきたことが大きいと思わざるをえない。
象徴的な場面がある。
2日間の協議を終えた東京での両首脳の記者会見で、プーチン氏は領土問題について実に奇妙な歴史観を披露した。それはクリル諸島(千島列島)に対する次のような発言である。
「南クリル諸島はロシアの航海士によって発見されたため、ロシアは自らに帰属すると見なしていた。それを1855年にプチャーチン提督がロシア帝国と皇帝の同意により、日本の帰属下に引き渡したことで、初めて日本は南クリル諸島を手に入れたのだ。平和条約を結ぶために、ロシアはこれらの島々を引き渡した。ちょうど50年後に日本はこれを不十分とみなし、1905年の戦争の後で軍事活動の結果としてさらにサハリンの南半分を手に入れ、さらに終わりにはサハリンの北半分もすべて占領した」
「さらに40年後、1945年の戦争の後、ソ連は自らにサハリンを取り戻しただけでなく、自らのもとに南クリル諸島も取り戻した」
その上でプーチン氏は、「これらの領土をめぐる歴史的なピンポンを打ち切ることが必要だ。日本とロシアの本質的な利益は、最終的かつ長期的な解決を求めている」と強調した。
だが、これは明らかにおかしい。
アイヌ民族など先住民などの問題は別にして
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