イラク戦争を始めたアメリカを止められなかった日本には責任がある
2017年02月02日
すべての戦争に反対してきた。13年前にイラク戦争が始まる時も、もちろん反対した。
戦争が始まってしまった。戦争で傷ついた子供たちを助けるため、すぐに日本イラク・メディカル・ネット(JIM-NET)というNGOを作った。白血病の子どもを救うために、イラクの4つの病院へ毎年2千万円以上の薬を支援してきた。同じようにぼくが代表をしている日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)が、イラク北部の都市アルビルに事務所を置いて、難民キャンプに6つの診療所の薬剤や医療機器の支援を行っている。
戦争して、いいことなんかない。イラク戦争が起きてフセイン政権はすぐに瓦解(がかい)したが、その隙に乗じて過激派組織イスラム国(IS)が、イラク第二の150万都市モスルを2014年に制圧した。
昨年10月から、イラク政府軍やクルド自治政府軍が大攻撃をかけている。モスルの東半分は奪還しつつある。
2016年12月末、モスルから80キロのアルビルに支援に行って来た。
今までは、トルコのイスタンブール経由でアルビルに行っていたが、このところトルコでのテロが多くなっているので、ドーハ経由でアルビルに入った。待ち時間を入れてちょうど24時間。68歳の体にはしんどい。
入国のチェックも厳しい。イラクに入った後も、テロリストが街に入らないよう厳しい検問が何度も行われる。日本にいると気がつかないが、中東に入ると、安全がとんでもない努力の対価として得られるものだということがよくわかる。
11歳のアブドアル・モメリ君は、モスルから逃げてきた白血病の少年だ。モスルの病院で治療を受けていたが、いつも薬は十分でなく、とても心配だったという。モスルの東側は解放され出した。中心部にあるイブン・アシール病院へはもう行けない。モスルから脱出しても、避難民キャンプに入れられると言われていたので心配したが、病気のある人はそのままアルビルへ救急車で搬送され、助かったという。
しかし今度は、ぼくたちが支援しているアルビルのがん専門病院であるナナカリ病院自体に大きな問題が生じている。
ぼくたちは毎年600万円ほどの薬をこのナナカリ病院に供給している。クルド自治政府から運ばれてくる抗がん剤で足りない分の抗がん剤を、ぼくたちの支援で補充し、治療成績を確保していた。しかしモスルからがんの子どもたちが急激に増え、前年度比で40%も増えたため、薬が足りない。せっかくISの支配地から脱出してきてくれたのに、ISの支配地と同じように薬が足りないなんて、とんでもないことである。
イラクは医療費は無料だが、薬がない場合、医師から処方箋を書いてもらい、街の薬局で買わざるを得ない。モメリ君のお母さんは、ぼくに日本円にして2万円ほどの領収書を見せてくれた。
クルド自治政府は財政的に困窮している。戦争するために兵士には給与を全額払うことを前提にしている。しかし医師などの公務員は7割カットである。ISをたたく戦争するために、市民は困難を強いられている。
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