地域の将来像を真剣に考える機会、人々の交流も促進
2017年02月01日
選挙の前に立候補予定者が政策について議論する公開討論会が企画されるようになった。これは、20年くらい前に始まったもので、リンカーン・フォーラムが推進してきたものだ。リンカーン・フォーラムは、「公開討論会」を通じて政治家を選ぶというルールを日本に根づかせる実践活動とネットワーク創りを行っている団体だ。リンカーン・フォーラムは1996年に政治・環境・教育NGO「地球市民会議」の公開討論会支援プロジェクトとしてスタートした。そして2000年11月に地球市民会議から独立し、公開討論会支援専門のNGOとなった。その後、2015年4月に一般社団法人に移行し「一般社団法人公開討論会支援リンカーン・フォーラム」と改称して活動している。最近は、各地で青年会議所が主催するようになり、定着してきた。これまでに実施された公開討論会の数は実に3000回を超える。
昨年の東京都知事選でもこの公開討論会は実施された。参議院選挙では全国で数多くの公開討論会が実施された。そして東京都千代田区長選でも1月28日に東京青年会議所が主催した。
日本の選挙では政策を語られることがほとんどない。致命的な欠陥といっていいだろう。これは複合的な要因が重なっており、ニワトリと卵の関係のような部分もある。とにかく政策について語っても票にならない、というのが相場とみられている。
実際に選挙の場では、握手と名前の連呼が中心の活動になる。後援会と呼ばれる支持者中心の会合では、頭を下げ、支援をお願いする謙虚さが求められる。政策は二の次、三の次、あるいはそれ以下だ。時には土下座、涙の訴えなども要求される。
こうした特殊な集会や運動が中心であるから、まともな政策論争が展開されることは少ない。政策を語ろうとする候補者がいると選挙参謀からやめるように忠告を受けるという。いくつかの理由がある。①政策について語ると生意気に思われる。②支持者は政策を支持してついているわけではないので、政策を明確にすると少なからずの支持者が離れることになる。③あやふやな知識と認識で話すとボロが出る。
このままでいいわけがない。選挙を意味あるものにするには、少なくとも選挙の前には政策を語ってもらう機会を作ることが大切だ。そしてそこに市民が聴きに行き、市民も関心を持って、政策主体の選挙に作り変えることが求められる。公開討論会はそのための一つの方法である。
会場に来ることができるのは500名程度かもしれない。しかし公開討論会での討論の様子は口コミで伝わるし、メディアによっても報道される。最近は、公開討論会がケーブルテレビやインターネットで放映されることも少なくない。実際に公開討論会で流れが変わり、勝敗を分けた、といわれることもある。選挙を本来の姿に近づけるための小さいながらも確実な一歩である。
候補(予定)者にとっても大きな意味がある。いい候補者は、社会づくりの構想を持って立候補を志す。しかし、その志の高さと当選の確率とは必ずしも一致しない。こうした人に当選して欲しいと願う時もあるが、その思いとは裏腹に落選してしまうことも少なくない。これが日本の選挙だ。日本の選挙で当選するためには、「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」の3つのバンが必要であるとされている。志の高さも、政策の素晴らしさも、実行能力もここでは関係ない。まともな政策がなくても当選するのが問題なのだ。志が高く、政策をしっかりと組むことができ、それを実現できる人が当選する選挙を作っていくことは、社会にとっても好ましいし、優秀な立候補(予定)者にとっても好ましいことだ。公開討論会は、公平で公正だ。ただ優秀な候補者に有利になる仕組みである。
政策をしっかりと語りたい、と優秀な立候補(予定者)者は思う。しかし実際の選挙戦ではそれはほとんど意味がない。当選ハチマキを頭に巻いて、声の続く限り名前を連呼し、走って、走って、握手をしまくる。本当にやりたいことを有権者に訴えて、その共感の輪から当選するような選挙を作ることが立候補(予定)者のためにも重要なのだ。
こうした公開討論会を実施すると、
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