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続・「共謀罪」が成立すると、どんな社会になるか

恐怖が、究極の監視社会への原動力

斎藤貴男 ジャーナリスト

「排除型社会」への移行

 共謀罪を支持することは、とどのつまり、前回に述べたような世の中を許容することに他ならない。かくて定着される社会が「排除型社会」だ。

 英国の社会学者ジョック・ヤングは、まさに『排除型社会(ザ・エクスクルーシヴ・ソソエティ)――後期近代における犯罪・雇用・差異』(青木秀男ほか訳、洛北出版、2007年)という書物で、こう説明している。

 エドワード・ルトワク(引用者注・アメリカの歴史学者)によれば、包摂型社会から排除型社会への移行から、次のような二つの事態がもたらされる。すなわち、一方では貧困層がたえず相対的な剥奪観を抱くようになり、そのために犯罪が増加の一途をたどっている。他方では、比較的裕福な層の人々も不安定な状態に置かれて不安を抱くようになり、法を犯すものにたいして不寛容と処罰をもって処すべきという意識が高まっている。犯罪の増加と処罰の厳格化という、私たちの社会が直面している二つの事態は、同じ根っこから生じたものである。

 ヤングの議論は、世界を席巻し、あらゆる国々の階層間格差を広げている新自由主義イデオロギー分析の延長線上にあった。家庭環境や経済力次第で人それぞれスタートラインが異なる現実を無視し、あたかも正当な競争のように見せかけ、にもかかわらず自己責任原則を絶対のルールだと演出する新自由主義のシナリオは、イコール社会ダーウィニズムと同義と言って過言でない。ダーウィンの進化論を人間社会に丸ごと当てはめ、社会的地位の高い人間は優れた人間、低い人間は劣った人間と見なし、“劣った人間”を排除していけば世界も人類も進化するという思想潮流は、19世紀後半から20世紀前半における欧米列強の帝国主義や植民地支配、あるいは労働者の搾取を正当化した。

 権力者や巨大資本にこうまで都合のよい理屈も珍しい。そこに医学や遺伝学の装いを凝らしたのがナチスの優生学で、第2次世界大戦の終結とともに国際社会では一時的にタブー視されたのが、いつの間にか蘇っていた構図だ。

五輪は監視システム化の一大チャンス

 日本でも1980年代の中曽根康弘政権時代に端を発し、2000年代の小泉純一郎政権で花開いた構造改革路線さらには現在の社会保障の縮減や雇用の低位不安定化も、同じ文脈にある。その排除型社会を完成させる過程で、オリンピックのような大規模なメディア・イベントは、一大チャンスなのだ。『朝日新聞』の別刷り『GLOBE(グローブ)』が、鋭い論考を掲載したことがある。

 「五輪やサミットは軍事産業や警備会社にとって格好の見本市になっている。一方、当局は高価な監視システムを導入する機会として活用する。そのインフラは大会後も残ります」。英ニューカッスル大学教授のステファン・グラハムは、こうした現象を都市の「軍事化」と呼ぶ。(中略)進められているのが、「先制的監視」と呼ばれる手法だ。インターネットや人工衛星、GPS(全地球測位システム)、遠隔操作、レーダー、無人機、生体認証、大量のデータから傾向を見つけ出す「データマイニング」などを利用して、市民の日常生活から収集したデジタル情報によるデータベースが基盤となる。多くが20世紀後半から多額の軍事予算を投じて研究開発された技術だ。
 英国の作家ジョージ・オーウェルが小説『1984年』で描いた監視社会を思い起こさせるが、グラハムはこう指摘する。「ビッグブラザーが支配する権威主義より、もっと巧妙。私たちはすでに生活の手段として、デジタル機器にどっぷりつかっている。その便利さは、常に監視されてプライバシーが失われる世界と表裏一体なのです」(其山史晃「五輪も舞台、『軍事化』する都市」『グローブ』2016年4月3日付)

 ここで考察された「監視システム」を、共謀罪と言い換えてみるといい。

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