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社会主義から社会正義へ、カストロ後のキューバ

キューバ革命の精神と小国の姿勢

伊藤千尋 フリー・ジャーナリスト

革命記念日の集会では、カストロはこの像の前で演説をした=2016年2月、伊藤撮

影拡大首都ハバナの革命広場に建つホセ・マルティの像。革命記念日の集会でカストロは、この像の前で演説した=2016年2月、撮影・筆者

 2016年11月に亡くなったフィデル・カストロの遺体は火葬された。社会主義国では歴史的な指導者が亡くなると遺体を加工して永久に保存しがちだが、カストロはそうでなく火葬するようにと言い残した。自分が神格化されるのを避けるためだ。さらに公共の場や記念碑などに自分の名をつけないよう遺言した。個人崇拝をやめさせるという信念を死後も貫いたのだ。

フィデル・カストロ前議長の遺骨を乗せたキャラバンが、大勢の市民が見守るなか進んだ=3日、サンティアゴデクーバ拡大フィデル・カストロの遺骨を乗せたキャラバン=2016年12月3日、サンティアゴ・デ・クーバ
 遺灰は箱に納められ、キューバ東部サンティアゴ・デ・クーバの墓地に埋葬された。

 墓石はキューバ革命の思想的な指導者ホセ・マルティの廟のすぐそばだ。高さ3メートルの半球体の墓石の中央がくりぬかれ2016年12月4日、弟のラウルがここに遺灰の箱を納めた。表の銘板にはただ名前の「FIDEL」とだけ記された。国民から呼ばれてきた名である。

「私はマルティ主義者」

 葬られた地サンティアゴ・デ・クーバはキューバ革命の発端となった地だ。カストロが最初に武装蜂起して襲ったのが、このサンティアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営だった。1953年の7月26日だ。この日が革命記念日である。失敗して捕えられたカストロは法廷で「歴史は私に無罪を宣告するだろう」と名言を残した。

 襲撃した年はホセ・マルティの生誕から100周年に当たる。捕まったとき反乱の首謀者はだれかと聞かれたカストロは「ホセ・マルティだ!」と答えた。マルティの遺志を継いで革命を起こしたという意識だったのだ。カストロは常々「私はマルティ主義者だ」と語るほどマルティに心酔していた。カストロはマルクス主義者である前にマルティ主義者だった。

 キューバ革命党を創立したマルティは詩人で哲学者である。スペイン植民地主義と闘った英雄として、キューバだけでなく中南米の全域で尊敬されている。彼が主張したのは、人間は本来、自由であり、社会の差別や抑圧をなくさなければならないという「人間の自由」だ。「人間はだれも他人の痛みを感じるべきであり、一人でも不幸な人がいるかぎり我々は人間ではない」と説いた。カストロは彼を師と仰いだ。

 服役を終えて国外に追放されたカストロはあらためて武装訓練し、メキシコからヨットでキューバに侵攻した。それからわずか2年余りで独裁者を追い出し、革命に成功した。国民の支持があったからこれだけの短期間で成功したのだ。

自壊した革命原則、経済的な苦難

 カストロはマルティの思想に沿って革命を進めた。平等を旨にだれもが教育を受けられ貧しくとも医者にかかれるように尽くした。農地改革を実行してすべての農民が自分の土地を持てるようにしたのも、その表れである。

 ところが、米国企業の土地を接収したことから米国と対立した。そこにソ連が介入してキューバを経済的に支えることになったため、キューバは冷戦構造に組み入れられた。否応なくソ連型の社会主義を採用することになったのだ。

 だが、マルティの発想でもわかるように、本来、カストロが求めたのは社会主義というよりも社会正義である。 ・・・ログインして読む
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筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) フリー・ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。著書に『地球を活かすー市民が創る自然エネルギー』『活憲の時代』『変革の時代』『ゲバラの夢、熱き中南米』(以上、シネフロント社)、『一人の声が世界を変えた』『辺境を旅ゆけば日本が見えた』(以上、新日本出版社)、『世界一周 元気な市民力』(大月書店)、『反米大陸』(集英社新書)、『観光コースでないベトナム』(高文研)、『闘う新聞ーハンギョレの12年』(岩波ブックレット)、『燃える中南米』(岩波新書)など。

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