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[2]女性は徹底的に政治の場から排除された

多くの女性たちが血を流しながら闘ってきた歴史がある

岡野八代 同志社大学教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2016年6月10日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

 

講演する岡野八代教授

 隣の国、イギリスからこのフランス革命を観察していた女性の思想家、メアリ・ウルストンクラーフトは、『女性の権利擁護』という本の中で、こんなふうに言っています。「男性は自分の自由を求め、そしてまた自分自身の幸福に関しては自分で判断することが許されるべきだと主張しますが、その時に女性を服従させるということは、たとえそれが女性の幸福を増すのに最もよく工夫された方法だとあなたが固く信じていていようとも、筋が通らないし、かつ不正ではないでしょうか?」と。これはまさに、日本の憲法13条に書いてある幸福追求権について語っています。どんな人であっても、人間には一人一人、自分が、これが幸福だと思った、その幸福を自由に追求する権利がある。すべての人は自分で幸福を決めるに値する価値がある。これは個人主義の大前提です。フランス革命もそこに根ざしていました。

女性は男性が決めた幸福観で生きることが幸福??

 ところが女性たちは、そうじゃない。男性たちが決めた幸福観で、生きることが幸福ですよ、悪いことは言わないから聞いときなさい、とフランス革命当時はそれが常識でした。いまでも日本のどこかで聞いたことないですか? 皆さん。「女はやっぱりね、結婚して子供を生まないと」とかですね。女性の幸福に関しては、だれかが決めている。そういう経験をされたことが多いと思いますが、この当時からそうです。

 ウルストンクラーフトも実際に、こんなふうに言うんです。女性にとって「幸福を増すのに最も良く工夫された方法だとあなたたち男性がかたく信じていても、それはフランス革命の精神からすると筋が通らないし、不正じゃないですか」。これは1791年、フランス革命の直後に書かれた本の中でです。

 フランスの立憲デモクラシー、民主主義の話をするとき、ルソーの『社会契約論』から学ぶことが多いと紹介します。こんなに平等な精神に基づいた人は当時、類をみません、と。しかしながら、きょうの話は、もう一方のルソーの顔についてです。ルソー自身はフランス革命を経験できなかったのですが、フランス革命を指導したロベスピエールなども『社会契約論』を持っていたと言われるぐらいフランス革命に大きな影響を与えて、しかもいまの民主主義の根幹の一つをつくった哲学者です。

ルソーいわく「女子教育は常に男性に関してなされるべき」

講演する岡野八代教授
 彼は、民主主義の国家にふさわしい市民をつくるには、やっぱり教育が必要だと、教育の本『エミール』を書きます。エミールは男の子ですが、エミールには妻がいるだろうということで、ソフィーという女性を登場させるんですね。ですから、『エミール』には女子教育についても書いてあるわけです。

 「女子教育は常に男性に関連してなされるべきです。男性を喜ばせること、その役に立つこと、男性に愛され尊敬されること、男性が幼い時には教育し、大人になった時に世話を焼くこと。男性に助言を与え……」って、これ以上読むのはやめますね。(会場・笑)。だんだんこう、機嫌悪くなりますので。

 こういうふうにも言っています。「男女それぞれの義務は厳密に平等に分割することはできません。男が課した不当な不平等について……」ここはわかってるんですね。「男が課した不当な不平等」というのはわかってるんですが、それは文句を言うなと。それは男が課しているように見えるけれども、自然がなせる技なのだから、と。「少なくともこれは偏見とか理性が作りだしたものでなく、自然……」でここからですね。「自然が子どもを託したのは男女のうち女性なのだから……」、女性が生むことになっていますので。次です。「女は子どものために夫の要求に添わねばなりません」。天才ルソー、何度読み返しても、こうとしか言ってないんです。

 私だったら、自然が子どもを託したのは、男女のうち女なのだから、男は子どものために女の要求に従わなければなりませんって。(会場・笑・拍手)。素直に読んで、ここ、「男女どちらを入れますか?」と、入試で出してもですね、おそらく8割はこっちじゃないでしょうか、ルソーのような回答を導き出すのは非常に難しい。大学入試に出したら、ルソー問題は苦情ものですね。でもこう書いてあるわけです。本当に不思議で、奇妙奇天烈とでもいいましょうか。

女性を「市民」から排除したフランス憲法

 それだけじゃないです。革命の直後だけでなく、その後も徹底的に女性は政治の場から排除されていきます。例えばフランス憲法です。その憲法で初めて、市民とは「フランスに生まれ、すべての男性」とされます。1795年になると女性のみの議会の傍聴と女性の政治集会への参加を禁じるような政令ができます。日本でも明治のときに自由民権運動に女性が参加することを禁止していきますけれども、フランスでは、なんと女性が街路に5人以上集まっているのを見つけられると、パリの秩序を乱したということになって拘束される。日本の民法が見本としたナポレオン民法典では、女性たちの財産権が否定されています。

 フランスでは民法上、女性が成人として認められるのは、つまり法的に男性と同じような能力を持っていると認められるのは1938年です。しかも人権宣言で高らかに「人は生まれながらにして自由で平等です」とうたったフランスは、女性参政権が認められるのはヨーロッパの中で、最も遅い国の一つ。日本とほとんど変わりません。第2次世界大戦の末期、1944年になってようやく認められます。

非常に低い日本の女性の政治的参加

 この問題は、大きな問いで、私もフェミニストと自称し始めて長いんですが、なかなかこれが理由だということをはっきりとは答えられません。本当は、どうしてここまで女性たちが政治的に排除されたか、若い方にもっと研究していただきたい。これはヨーロッパの歴史上だけではなくて、日本はいまだ男尊女卑が厳しい。女性の政治的な参加でいうと、日本は非常に低い。日本のジェンダーギャップ指数がこれほど国際的に見て下位にある一つの理由が、この政治的な参加、端的にいえば、女性政治家の割合の低さです。

 日本では、明治時代の始まりとともに、人権思想が入ってきた。日本でも同時代的に翻訳された『自由論』を書いたイギリスのJ・S・ミルは、19世紀当時の男性の哲学者としては非常にまれなことに、

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