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金正男氏暗殺で、北朝鮮を崩壊させてもいいのか

日本と韓国がとるべき方針とは?

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

2月22日、平壌の人民劇場で創立70周年記念公演を行った功勲国家合唱団員との記念撮影場で歓迎を受ける金正恩・朝鮮労働党委員長。朝鮮中央通信が報じた=朝鮮通信拡大各国 は金正恩・朝鮮労働党委員長にどう向き合うべきか=朝鮮通信

世界中に広がる諦念と恐怖

 金正男氏がマレーシアの空港で殺害されたという報せを受けて以来、日韓のメディアはそれを大きく報道し、情勢を巡ってテレビで特集番組が組まれることも珍しくない。それまで余り存在を知られていなかった彼の子息ですら、その映像を見ない日は無いほどである。

 そうした報道や街頭での声には、事件を起こしたと見られる北朝鮮に対する諦念や恐怖、あるいは憤りといった感情が溢れている。事件を受け、遺体の解剖を行ったマレーシア警察の発表によれば、殺害には猛毒のVXが致死量を大きく超えて使用されたとのことであり、一歩間違えれば、混雑する空港内で無関係の市民が被害を受ける危険性もあった。そして、韓国の情報機関である国家情報院は2月27日、この事件を北朝鮮による国家テロであると位置づけた。

 テロの定義は各種あるが、その行為が恐怖政治の徹底、もしくは民主主義や資本主義導入に肯定的であった関係者の殺害であったとの視点に立てば、これは明らかな国家テロであろう。

 そうしたテロを厭(いと)わない北朝鮮を危険視する認識は、この事件により国際的に一層広がったといえる。また、現状を受けて北朝鮮の崩壊を望む声すら、しばしば公に語られている。

 しかしながら、この問題に対して感情の赴くままにメディアから次々に発せられる情報に反応することは却(かえ)って危険を増幅させてしまうと私は考えている。そこで本稿では、権謀術数が蠢(うごめ)く今回の事態に際して、諜報機関や薬物の入手先等の詳細について言を重ねるのではなく、北朝鮮との関わりが安保をはじめ最も複雑に絡み合っている日本と韓国が今後どのような方向性を目指すべきなのかを考察する。

顕著な判断力の低下

 まず、殺害に大きく関わった北朝鮮の現状を捉えるために、現在マレーシアの政府発表等から明らかになっている不可解な点を整理したい。

 今回の事件では、複数国から実行犯を連れて来るなど少なくとも数ヶ月前から計画が練られていたにもかかわらず、(1)どの国でも監視カメラが最も設置されている場所の一つである国際空港で犯行を行ったこと、(2)金正男氏殺害の容疑は自国に最も向けられやすいにもかかわらず実行したこと、(3)容疑者4名が足取りの追跡しやすい航空機で同時に出国し、北朝鮮に戻ったこと、(4)VXという高度な技術力を持つことが推察される物質で暗殺を行ったこと等、いわゆる“足がつき易い”要素が多分に含まれている。

 加えて、捜査を進めているマレーシア警察に対する外交儀礼を失する北朝鮮側の態度からは、主権国であるマレーシアが当然とるであろう対応、あるいは国際的な反発を北朝鮮が予測出来ていなかったことが分かる。

 また、殺害の最終的な判断は、肉親であり絶対的な権力者である金正恩朝鮮労働党委員長の裁可無しで行われたとは考え難い。そうした想定を総合すれば、現在の北朝鮮ではリーダーはもちろん、実務家や側近も冷静な判断が出来ていないと捉えることができる。

 確かに、北朝鮮は

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筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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