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矛盾だらけの教育勅語は「徳目」こそが問題なのだ

「それなりにいいこと」なんか書いていない

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

1940年(昭和15年)5月22日、青少年学徒に賜った教育勅語の拝戴1周年記念式が文部省の主催で東京・代々木練兵場で行われた。秩父宮殿下が壇上に立ち、松浦文相があいさつ、都下大学、高等専門学校の男女約9万人が参加、うち約1万3000人の女子は「紀元2600年頌歌(しょうか)」唱歌などを斉唱した 1940年5月22日、東京・代々木練兵場で開催された教育勅語拝戴の記念式。都下の大学、高等専門学校の生徒約9万人が参加した

 森友学園の「瑞穂の國記念小学院」への国有地払い下げ問題とは別に、系列幼稚園での教育勅語の朗唱が多くの人にショックを与えている。

 だが、だが、である。ずっとショックなのは、それなりにいいことだと思っている人が結構多いことだ。安倍晋三首相も「私の考え方に非常に共鳴している方」などと2月17日には、国会で答弁している。特に教育勅語をさしてのことではなかったかもしれないが、それが方向として含まれていたことは間違いない。

 稲田朋美防衛大臣も、大阪の幼稚園が教育勅語を園児に朗唱させていることを積極的にとらえた発言が、右翼系の業界誌『WiLL』(右翼がなんで英語のタイトルなんだ)に掲載されていたそうだ。3月8日には、「道義国家を目指す」教育勅語の精神は「取り戻すべき」などと国会で述べている。すでに1948(昭和23)年に衆参両院で失効決議の出ている教育勅語を大臣がいまさら支持するとは、明白な違憲発言だろう。

それなりにいいことを言っている?

 しかし、もっとショックで問題なのは、謙虚に耳を傾ければ、教育勅語はそれなりにいいことを言っているではないか、と考える「無邪気な」人々が大量にいることだ。

 「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ……」(父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません……/高橋源一郎訳)。これのどこが悪いんだ、ということだろう。

 「報道ステーション」で私もファンの富川悠太キャスターも小川彩佳アナウンサーも、「これだけならそれほど目くじらたてることもない」といった発言をしていた。問題なのは、後半の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。同上)が天皇を主権者とする明治憲法と関係するところだ、というわけだろう。

「徳目」の3つの問題

 冗談じゃない。それだから困るのだ。どんな社会でも夫婦仲良く、兄弟親しく、親孝行に務めるのはいいことではないか、と言われると、「それはそうだけど」と引っ込んでしまうのではだめだ。この徳目こそが問題なのだ。3点ほど挙げておこう。

 第一は、夫婦、兄弟、親子が前提になっていることだ。でも、現代の複雑な社会は、各自が自分にあった人生の選択ができることが必要だ。よく言われる「多様性」というものだ。結婚しない人も多いし、子供のいないペアも珍しくない。明治憲法下で、そしてその後も長く、結婚しない女性が、子供のいない夫婦がどんなに肩身の狭い思いをしてきたことか。

 第二に、教育勅語の明治憲法との表裏一体関係を考えるならば、

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