メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[4]官庁だけでなく裁判所もぐるみになっている

これが法治国家と言えるのか

白藤博行 専修大学法学部長・教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2016年10月21日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです.

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

講演する白藤博行教授

~質疑応答~

西谷修(立教大):どうもありがとうございました。気が弱いし、体も弱いし、暴力なんて私のものじゃないんですが、でも往々にして暴力でないと、いろんなことが変わらない。これは歴史的な事実で、人間の世界とはある意味でそうかもしれないです。それではない形でどうやって社会を組み立て、あるいは自分たちの生存を確保していくかというときに、最後に頼りになるのが法律だと思うんです。その法律の方向を日本で決めているのは憲法なんですが、それを白藤さんがいま展開されたような論議でもって勝ち取っていかないと、その法すら確保できない。その法を勝ち取ることによって、初めて、自分たちの、例えば沖縄の人たちの自治だとか、戦争のないところで、あるいは軍隊のないところで生きたいという希望をつくっていくことができる。そのためにこういう法論議をやらざるをえないのだということを、先生のお話を伺いながら思いました。

 皆さん、きょうのお話を伺って、どうしてもこういうことはさらに伺っておきたいとか、こういうところがもう少しわかるとよく理解できるとか、そういうようなことがありましたら、どんどんご質問ください。

女性A:こういうことを、例えばSNSでサポートするとか、そういうことをすると、またその人たちが余計なアテンションを国家から受けることになって、その人に不都合が起こるという社会にいまなっていると思うのですが。「反対派の人が違法行為をやっている」というキャンペーンがあると最初におっしゃったので、その反対派の人を支持する人もまたそういう枠組みで国民的にとらえられているんでしょうか?

選挙結果からも沖縄の民意は明らか

西谷:これは実はメディアの中立性とかそういうこともまたからむことなんですけど、いま我々の立場からすると、山城さんたちが抵抗するのはね、これは仕方がない、というか、これは当然なことなわけです。要するに政府のやることが違法だし、もう本当に無法な政権ですから。全国から機動隊を500人呼んで、押さえこんだりとか、そういうことをやっているわけです。沖縄の人たちは、この間、あらゆる選挙で、基地をつくるとか、辺野古容認とか、そういう候補者を全部落としているわけです。沖縄の人たちの選挙で得られる民意としては、基地をつくらせないというのが、基本姿勢なわけです。それを無視して、「防衛とか軍事というのは国の専権事項だから、お前らには言う権利はないんだ」という形で国がやっていく。

 そして国というのは、法律を執行する機関ですから、執行している限りは法にのっとっているという形をとっている。だから、いまの首相みたいにね、「私が最高責任者だ」と、いちいち出てきて物を言う。「政府がやっているんだから問題ない」ということでやってきちゃう。そうすると、沖縄の人たちはそれに対して抵抗する。それも極力、法律に違反しないように、本当に非暴力でやろうとする。

 でも菅官房長官なんかが言うのは、「日本は法治国家であるから」、「決められた通りに粛々とやる」というわけですね。こういう訴訟をやったら、裁判官も巻き込んで、全部、政府に有利なような判決が出るとか、そういうことも含めてやっていくわけで、そうすると、政府のやることは法の執行だという立場からすれば、それに抵抗するのは無法だと、言えば言えるわけです。だから、第三者のいないところで、二つの正義がぶつかりあっていると言ってもいいわけです。

司法が機能していない

講演する白藤博行教授
 二つの正義がぶつかり合うところに、殺し合いにならないように、本来は第三者が立って、両方の言い分を聞いて、「いや、法律はこうなっていますよ」という法の解釈をして、その適応のやり方を指示する。そしてどちらに分があるか、どちらが正しいかということを決める。これが裁判システムなんです。だけどその司法があまり機能していない。

 国の側としては、あらゆる機関を自分の手の中にしていて、政策を進めていこうとします。それに対する抵抗は、国にとっては、障害以外の何ものでもないわけです。その国に、いまの政権に自己同一化する人たち、要するに自分たちもそうしたいと思う人たちは、抵抗している人たちを「無法者」だとか、「不法行為ばかりしている」とか、言います。

 我々の見方からすれば、全く逆なことで、警察の山城さんの逮捕の仕方でもそうですけど、完全に陥れるような形で、あらゆる法を使って運動をつぶしていこうとする。そういうとんでもないことをやっていると、我々は見るわけですね。

 山城さんが逮捕されている件で、勾留延長は裁判所が決めるわけです。裁判所は勾留延長を認めなかったんです。我々、それに頼っていくしかないわけです。そうしたらまた再逮捕される。その再逮捕の勾留を今度は裁判所が認めるか認めないかということになってくるわけですけど、我々としては、裁判システムが適切に機能することを願うしかないし、そう機能するように、いろんな働きかけをしていく。

 私のほうから白藤さんに一つだけ質問させていただきますと、いまこの判決が出ましたよね。それで沖縄県が敗訴したという形になって、それでこれから最高裁ですか、そこいらへんのプロセスと課題がどういうふうになっていくかということを教えてください。

白藤:ご質問にお答えする前に、一言申し上げます。福岡高裁判決の中で、辺野古新基地に反対の人たちの民意には反するかもしれないが、基地負担の軽減を望む人たちの民意には反していない、というくだりがあります。これって、民意を自分に都合よく適当にとり扱っているんではないでしょうか。このように裁判所が民意を適当にとり扱うということをする限り、なかなか裁判所って信じられないですよね。知事選、名護市長選、衆参国政選挙などできちんと勝って、沖縄の辺野古新基地建設反対の民意は示されています。これはいわば「制度化された民意」とでもいうべきものであり、裁判所だからといって、それを無視してよいものではありません。私たちは、このような選挙を通した民意が尊重されないということの意味を、もう一度きちんと考えなくてはいけません。もし選挙という制度で示された民意だけでは、裁判所が、あるいはその他の組織が動かない、動けないとしたら、「民意の制度化」をどうやっていくか。例えば住民投票もひとつの制度としてあるけれども、それ以外に何かあるのかどうかというのは、私たちの課題だと私は思っています。

 それからいまの西谷先生のご質問ですが、最高裁にすでに上告しました。昔は上告理由書というのを書いて上告すればよかったのですが、いまはさらに上告受理申立書というのを書いて、そこで上告受理すべき理由を書かなくてはいけません。これは最高裁に上がってくる案件が多すぎてどうにもならないので、精査するという趣旨はあるとしても、なかなかそこをうまく突破できるかどうかは難しい問題です。上告理由書は憲法違反だということなどがうまく書かれていれば、クリアできるかもしれません。上告受理申立ての方は、重大な法令違反・法令解釈違反があるとか、最高裁の先例に違反しているとか、そういう理由が立証できているかどうかにかかっています。上告受理申立書は、A4で500ページ以上の文書をあげているので、

・・・ログインして読む
(残り:約3539文字/本文:約6669文字)