自民党改憲草案は泡沫候補らしい扱いをすべきだ
2017年04月18日
注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2016年11月18日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。
立憲デモクラシーの会ホームページ
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/
さて、これはどういうことかというと、ちょっとわかりにくいかと思うので補助線を入れてみたいと思います。「クローンの出会い」という物語を入れると、この物語の気持ち悪さがよくわかるんです。AとBは絶対的関係で結ばれたんですが、いろいろあってBは死亡しています。絶望したAは、AとBのクローン、A´とB´をつくり、自殺する。その後、A´とB´は出会って、AとBが絶対的関係を成就させたかのような外観が形成された。さてこの物語において、最後に出会ったA´とB´はAとBでしょうか? 答えは否ですね。全く別人が出会っているということで、単なるむなしい出会いがあったというだけであります。
私が見た映画のあらすじというのは、つまりこういう映画でありまして、2013年にタイムスリップするというのは、そこまで生きてきた人を全部いなくして、2013年時点のクローンを一度つくり直して、そしてそこから新しい未来をやり直すという、そういう世界観であります。ということは、2013年にタイムスリップしたBはどのような罪状か。すなわちこれは大量虐殺であります(会場・笑)。2016年に生きていた人をすべて巻き添えにして、自分も死んで、そしてその人たちのクローンをつくり出すということをやったということであります。
私はこの映画を見ながら何を考えていたかというと、私がこの映画の中に入れたら、2013年にさかのぼろうという主人公のBくんの行動を絶対に殴って止めるなというふうに思いました。止めないと、全員が死亡してしまいます。確かにAさんが死んだことは悲しいかもしれない。しかし、あなたがそれをやろうとしていたら、いま生きている人をもっと大量に虐殺することになるんだぞということであります。
ただですね、私はこういう話でないと論理的におかしいし、そう解釈するしかないはずなんですが、こういう気持ち悪い話だということがあまり理解されていないというのが大変残念であります。
この作者の方に、「報道ステーション」という番組がインタビューをしておりまして、そこで小川アナウンサーが「この物語で一番伝えたいことは何ですか?」というふうに聞いております。AさんとBさんは高校生でありますから、もしもこのようなタイムパラドックスのことをこの監督が意識していないのであれば、「青春にさかのぼって」とか「青春の気持ちを思い出して」とかと答えるはずだと思ったんですが、その監督の方はそうは答えませんでした。どう答えたかというと、「やはり若い人たちが頑張っている姿というのを応援したくなるでしょう。それがテーマです」という趣旨のことを答えていました。
つまり「青春に戻りたい」ということではなくて、「青春に生きる人たちを応援したい」。主語は大人です。応援するとは何か。すなわち「自分も命を差し出します」ということですね(会場・笑)。Bさんの大量虐殺を受け入れるということですから。なので、私は「これは完全に監督はわかっていてやっている」と、そのインタビューを聞いて理解しました。そしてまた、その監督の意図とは全く違う形で理解されている方が非常に多いということがわかったわけであります。
さて、何でこの話をしたのか。いまの話の教訓というのは、<人々は、いま自分がやっている行動の意味というのを実は正確に把握できないこともしょっちゅうある>ということであります。
私が最近、これを踏まえた上で、確かにそうだと思った出来事がありまして、それが最近の護憲派の集会のあり方であります。
最近、私は護憲派の方々から講演の依頼を頂くことも多いのですが、「自民党草案の悪口大会をやりたいので来てください」というのがずいぶんあります。それが本当に正しい方向なのか。確かに、一見すると自民党草案は立憲主義の本質も踏まえていない。「同人誌的なもの」と私は言っておりますが、要するに特殊な趣味嗜好がある方が集まって、楽しむためにつくったもので、国民に改憲を訴えたりとか、あるいは日本をよくしたりするようなものでは全然ないんです。
自民党草案の悪口を言う、これは出版でも
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください