「権力の暴力」「外国介入の暴力」「過激派の暴力」という3つの暴力
2017年04月13日
中東で4月に入って暴力が噴き出している。4月4日、シリアのアサド政権軍によるとみられる反体制地域イドリブへの化学兵器攻撃を受けて、トランプ大統領が「多くのレッド・ラインを越えた」として7日、アサド政権軍の空軍基地への巡航ミサイル攻撃を行った。9日にはエジプトでキリスト教コプト派(コプト教徒)の教会に対する連続自爆テロがあり、過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した。
エジプトでのISのテロは、シリアの状況と直接の関係があるわけではないが、私がこれまで繰り返し中東の混乱の原因として書いてきた「中東でのミリタリズム」が、「権力」「外国の介入」「過激派」という3つの側面で相次いで噴き出したことになる。
さらに、米軍によるアサド政権に対する初めての武力行使という新たな展開は、さらなる「ミリタリズム」の激化と、状況の悪化につながることを予測させる。
【参照】「フランスの襲撃事件と中東のミリタリズム 欧米で武装テロが続く転換点か?」
現在、中東で蔓延する暴力と激動の発端となったのは、9・11米同時多発テロに対して、米国がアフガン戦争とイラク戦争という戦争手段で対抗したことである。
特にイラク戦争でサダム・フセイン体制が崩壊し、米軍による占領が始まった後、スンニ派とシーア派の両方で武力的な反米闘争が始まり、さらに両派が権力を争う熾烈な宗派抗争となった。米軍を前に100万の軍を抱えていたイラク軍の基地、武器庫は無人となり、周辺の部族や政治組織が好き勝手に略奪することで武器が拡散した。体制が崩壊したことで、国家が独占していた「軍事」が宗派や政治組織に蔓延したのである。
2006年2月にスンニ派・シーア派の抗争が激化して、内戦状態になった後、「イラク・アルカイダ」は、現在のISの前身である「イラク・イスラム国」に変わった。「イラク・イスラム国」はアルカイダに参加していた外国人戦士と、イラクのスンニ派部族、さらにフセイン体制の旧治安情報機関がつくったものだ。イラクでは、イランの革命防衛隊による支援によって、シーア派民兵が急速に強大化していた。宗派抗争の激化は、スンニ派、シーア派双方の「武装化」の結果でもあった。
アサド政権は失地を回復することになるが、同時に「イラク・イスラム国」がシリア内戦に介入して「シリア・イラク・イスラム国(ISIS)」となった。ISISは翌14年5月にイラク側のモスルを陥落させて、6月にはイラクからシリアにまたがるISの樹立を宣言した。
IS樹立後の2014年秋、米国が率いる有志連合がISやシリアのアルカイダ系組織「ヌスラ戦線(現・シリア征服戦線)」への空爆を始めた。しかし、ISやヌスラ戦線の拡大は止まらず、2015年春には、北西部のイドリブを占拠されるなど、アサド支援軍は劣勢になった。シリアに軍港を持つロシアは、15年9月にアサド政権を支援するために空軍が反体制地域への空爆を始めた。
2016年12月、アサド政権軍は反体制勢力が抑えていた北西部のアレッポ東部を陥落させた。それは地上ではイランの革命防衛隊、ヒズボラ、イラクのシーア派民兵の援軍、空からはロシア軍の空爆という援護によって初めて可能になった。
シリア人権ネットワークによる集計では、2016年の民間人の死者総数1万6913人中、アサド政権軍による死者は8736人(52%)にのぼる。このうちロシア軍の空爆による死者は3967人(全体の23%)で、ISによる死者1510人(全体の9%)の倍以上であり、これはロシア軍による空爆の無差別性を示している。
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