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教室は本来、「間違える」ことを尊重する場所だ

教科書検定に潜む根源的な疑問と、多様性を奪われた社会の危うさ

倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)

国家が示した道徳観に適合するか否か

文部科学省の入る中央合同庁舎7号館=東京・霞が関文部科学省の入る中央合同庁舎7号館=東京・霞が関

 「教室は間違えるところ」

 昔、小学校の教室に、このような貼り紙がされていた記憶がある。

 その「間違える」ことを尊重するという価値を本来は体現すべき小学校の、教科書の検定結果が3月、文部科学省によって公表された。来春から道徳が「教科」になるのに伴い、政府は「考え、議論する道徳」を掲げ、2018年度から小学校で使われる道徳の教科化に力を入れるのだという。

 ある科目を「教科」化するとは、教科書を使用し、数値による評価を行うことなどを言う。だが、道徳については数値による評価は行わず、担任が担当することから、特に「特別の教科」という新たな位置づけが設けられた。要は、数値化はせず、入試等に使用はしないが、国家が示した道徳観への適合性を担任が評価するということである。

 教科書検定とは、当該教科を通じて修得すべきスキルや、伝えたい価値観に対して、その教科書が適合的かどうかを判断する作業だ。すなわち、教科書検定は、価値の取捨選択を通じての、政府による明確なメッセージの伝達だ。

 そもそも、政府は、2016年11月18日付の文部科学大臣メッセージにおいて、道徳の「特別の教科」化の理由を、「いじめに正面から向き合う」という〝いじめ防止対策〟の一環として説明していた。

 「道徳教育の質的転換」が「いじめ防止」につながるという命題には首をかしげざるをえないが、さて、かかるお題目を掲げた道徳の教科書検定を通じて、政府はいったいどのようなメッセージを発し、価値選択を行ったのだろうか?

「パン屋」を「和菓子屋」に差し替える

 今回の道徳教科書検定で、結果的に出そろったのは8社24点、計66冊である。これにつき、244の意見がつき、このうち43が指導要領に適合しないとされ、「本全体を通じて内容項目が反映されていない」などの指摘がされた。

 今回、文科省が検定過程で付した意見と、その後の教科書の修正の一部は以下のとおりである。

 ①「しょうぼうだんのおじさん」(東京書籍、小学校4年)➡文中の「おじさん」を「おじいさん」に変更。挿絵に登場する男性もより高齢者風にした。

 ②「にちようびのさんぽみち」(学研教育みらい、小学校1年)➡教材中に登場する「パン屋」を「和菓子屋」に差し替え。

 ③「大すき、わたしたちの町」(学研教育みらい、小学校1年)➡〝アスレチックの遊具で遊ぶ公園〟を、〝和楽器を売る店〟に差し替え。

 以上につき、文科省が「不適切」とした理由は、3月24日の朝日新聞デジタルによると、それぞれ次の通りである。

 ①感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるため。

 ②と③「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」との理由。アスレチックに関しても同様である。これらを受けて、出版社側が表現を「日本らしいもの」に修正した。

http://digital.asahi.com/articles/ASK3P7KX3K3PULZU00T.html

根源的な疑問が潜んでいる

 今回の道徳教科書問題を通して、「パン屋と和菓子屋はどちらが郷土愛が強いのか」といった疑問や、「道徳で郷土愛を教えることがはたしていじめ対策として役に立つのか」等の問題点は当然のことながら指摘できる。だがここには、さらに根深い疑問として、「国家と道徳」をめぐる問題や、さらには「日本社会と立憲主義の理解」をめぐる根源的な疑義が潜んでいると指摘しなければならないだろう。

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