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「近代」の終焉を念頭に、憲法のあり方を考えよ

地球規模の問題解決にとって、近代国家の主権が障害に

古関彰一 獨協大学名誉教授、和光学園理事長

拡大日本国憲法の原本
 拙書『日本国憲法の誕生』の改訂版を出したばかりである。あらためて従来の憲法制定過程を再検討してみて、われわれに当然と思われてきたことが、実はそうではなかったことを知り、あらためてわれわれの「戦後」を考えさせられている。

 「平和主義」の形成過程ひとつをとってみても、巷間言われてきた「戦争の放棄は幣原が言い出した」などは、まったく実証できず、「マッカーサーが平和憲法をつくった」どころか、GHQ案も9条で「平和」などとは、一言も言っていない。マッカーサーが考えていたのは、「日本が二度と戦争をしない国になること」を考えていたのであって、いまの9条に書かれている「平和」など、どこにもなかった。

 彼らが最初に考えたのは「戦争の放棄」ではなく、「戦争の廃止」であった。彼らアメリカ人にとって「廃止」とは、アメリカ憲法の「奴隷制の廃止」を意味し、「放棄」とは、日本は戦争放棄条約(1928年)を批准しながら、「戦争」を行ってきたことを考え、自衛権の行使を前提とした「戦争の放棄」には疑問を持っていたからであろう。

沖縄は憲法の埒外、「平和国家」は「本土の平和」を意味した

 当時の、いや今でも「日本は平和国家」と考えられているが、マッカーサーは、沖縄県民を憲法の埒外に置き、憲法をつくる前に選挙権を停止して軍事基地をつくってきた。つまり「平和国家」とは、「本土の平和」を意味したのであった。しかも憲法は沖縄県民を除外して「全国民の代表」(憲法43条)規定をつくり、沖縄の本土復帰までの四半世紀を本土のみで「全国民の代表」を選んできたのである。

 それでは、9条1項にある「国際平和を誠実に希求し」という条文は、どうしてできたのか。それは、GHQ案に基づいてつくられた日本政府案を議会で審議した際に、政府案に「平和」が書かれていなかったため、社会党の議員・鈴木義男などが修正要求をしてつくったのである。いまやそんな議員を知るものなどほとんどいないであろう。もちろん、鈴木一人の発案ではなく、当時、社会党は「平和宣言」を出すべきだと主張していたし、GHQがつくった前文には「平和うちに生存する権利」が書かれていたので、そこから刺激を受けたとも考えられる。

 その後に「改憲」、「護憲」論議が始まるが、改憲派は「押しつけ憲法」一本槍、護憲派は、社会党などは胸を張って「我が党の主張で・・・」と声を大にしたのかと思えば、当時も、その後の「党史」などを見てもなにも語っていない。歴史の「改竄」と「健忘」によって戦後史はつくられたとは思いたくないが、愕然として声も出ない。

 しかし考えてみれば、わずか三年弱の憲法制定の民主化時代から、「逆コース」をひた走り、冷戦と格闘して、冷戦前につくられた日本国憲法を冷戦下で解釈し続けてきたのであるから、それはまた憲法を覆った「戦後」認識そのものでもあった。

 こう見てくると「戦後70年」とは、民主化時代は「芦田修正」に見られるごとく冷戦的な解釈がなされ、 ・・・ログインして読む
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筆者

古関彰一

古関彰一(こせき・しょういち) 獨協大学名誉教授、和光学園理事長

1943年東京生まれ。専門は憲政史。1989年、『新憲法の誕生』(中央公論社)で吉野作造賞を受賞。その後、日本国憲法の制定過程について、『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫)、『平和憲法の深層』(ちくま新書)を刊行してきたが、この四月新たに『日本国憲法の誕生・増補改訂版』(岩波現代文庫)を出版し、新たな改訂とともに増補を試みた。ほかに、『「平和国家」日本の再検討』(岩波現代文庫)、『安全保障とは何か』(岩波書店)、共著に『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書)などがある。