崩壊した憲法擁護コンセンサス、政府権力と個人のバランスの回復を
2017年05月02日
日本国憲法の構成を見ると、第三章以下の基本的人権と統治機構の部分は、先進民主主義国に共通した普遍的な政治原理や当地の手続きを規定している。これに対して、「第一章天皇」と「第二章戦争の放棄」は日本特有の規定である。天皇制に関しては、絶対君主から象徴天皇へとあいまいな形で連続性を残している。ただし、日本が戦後世界の中に受け入れてもらうためには、戦後日本が戦前の大日本帝国と全く別の国になったことを明示する必要があった。ゆえに、「第二章戦争の放棄」という条文を書き込んで、戦前からの決別を宣言した。天皇が事あるごとに憲法と平和の重要性を指摘するのも、こうした憲法の歴史性を踏まえてのことであろう。
戦後日本には、敗戦を屈辱と感じる人よりも、敗戦の受益者の方が圧倒的に多かった。農地解放によって自作農になった農民、戦前よりも格段に大きな権利を得た労働者、初めて一人前の人間として扱われるようになった女性。戦前と戦後の断絶はそうした実感を通して理解されていた。そうした実感が多数派に共有されていた間は、ファナティックな政治家や運動家が憲法改正を唱えても、支持は広がらなかった。
憲法をめぐる政治状況を振り返った時、戦後50年の節目だった1995年前後と70年の節目であった2015年以降の現在との間で、大きな落差があることを痛感する。1995年は自民党と社会党の連立による村山富市政権が50年の節目に当たって様々な事業を行った。その最大の成果は「村山談話」であった。
自民党も反省と謝罪を基調とする村山談話を支持した。それは連立政権維持のための便法に止まらない根拠があった。自社連立を支えたのは、河野洋平、加藤紘一、山崎拓、野中広務など、自民党のハト派政治家であった。加えて、
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