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『わが闘争』が学校でOKなら『共産党宣言』は?

教育勅語と合わせて学校教育で使えるなら、こんな面白いことはない

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

注釈版「わが闘争」ヒトラーの「噓」が暴かれている注釈版『わが闘争』

 いったいあの人たちはなにを考えているのだろうか。

 4月はじめに政府は、明治国家の国民に対する馴撫(じゅんぶ)と瞞着(まんちゃく)のプログラムでしかない教育勅語を「憲法や教育基本法に反しない形で」教材として使用を認める閣議決定をした。

 さらに4月中旬には、20世紀の政治的破局と大量殺人の教科書であるヒトラーの『わが闘争』を「教育基本法等の趣旨に従っていること等の留意事項を踏まえた有益適切なものである限り、校長や学校の設置者の責任と判断で使用できる」とする答弁書を作成した。「仮に人種に基づく差別を助長させるといった形で同書を使用するのであれば、同法等の趣旨に合致せず不適切であることは明らか」とのただし書きがついている。いったいあの人たちはなにを考えているのだろうか。

教育勅語時代を懐かしがる人々がいるらしい

 教育勅語の使用許可の意図はあきらかだろう。「日本人がしっかりしていた」戦前を懐かしむ彼らの気持ちに合うからだ。特に中央部にある「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ……」は今でもあてはまる、と非常に多くの人が考えているからだ。最後の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」さえ絶対視しなければ、いいじゃないか、大事なのは「道義国家」の項目だ、というわけだろう。

 しかし、国家が人々の価値観や生活態度を指示するということが近代国家の基礎原則そのものに反していることは考えていないようだ。

 それに、日本国家の上層部は、実際にはこの世界観の蓑に隠れて、勝手なことをしていたのだ。風紀紊乱(びんらん)に厳しかった明治国家だったが、明治天皇を始め「偉い人」たちにはごく普通に妾がいた。「公序良俗」を言いながら、裏での風紀紊乱もいいところだ。

 「道義国家」などと稲田朋美防衛大臣は言うが、朝鮮半島を植民地化し、日華事変で他人の家の奥座敷まで土足で踏み込むような戦乱を引き起こしている。南京虐殺があったかどうか、将兵の慰安施設が軍によって運営されていたかどうかという問題を無視したとしても、「道義国家」とは言えないことを平気でやらかしていた。

 満州で、できもしない「五族協和」などを唱え、日本の貧困農民を植民させたのは、現在の首相の祖父の岸信介だ。やっとの思いで引き揚げてきた彼らに、不毛の土地を、例えば長野県や新潟県の山沿いにあてがって事実上、「棄民」したのも、教育勅語時代に育ったエリートの農林官僚だ。

 少数者による多数者に対する圧倒的支配が戦前の構造だ。そしてひどい生活を強要されている人々が文句を言わないように、政治的批判をはじめないように、この勅語と天皇でマインドコントロールしてしまったのだ。

 どうもそういう社会を懐かしがる人々がまだいるらしい。そういう社会で軍隊を強くして、戦争のできる国家こそが、国際社会で真の国家に値すると考えるのが、まだ19世紀の国際法で生きているあの人たちだ。いったいなにを考えているのだろう。

『わが闘争』が許可された理由を推測すると

アドルフ・ヒトラー 「過去の克服」のために、この人の著書から学べることも
 それでは『わが闘争』はどうして許可したのだろうか?

 1923年、ミュンヘンでの一揆に失敗したヒトラーが禁固刑のあいだ、監獄で書いた「ナチス運動の聖書」(宣伝大臣ゲッベルスの形容)だ。

 禁固刑で済んだのは、裁判官自身が右翼だったからだ。禁固刑のあいだも比較的恵まれた待遇で、例えばピアノで有名なベッヒシュタイン家の夫人は彼のファンで、美味しい食事の差し入れをしていたそうだ。

 いずれにしても、ユダヤ人へのヘイトスピーチにあふれた本だ。これはあの人たちといえども、認められるわけがない。それなら、議会制民主主義を愚弄し、「嘘つき新聞」を罵倒した本、政治的プロパガンダの重要性を説いた本だからなのか。これが気に入っているのかもしれない。一体あの人たちはなにを考えているのだろうか? 

 だいたい、同書で日本人は「劣等民族」に加えられていた。せいぜいがドイツの太陽に照らされて光る月みたいなものだと、のちに権力を握ってからのスピーチで言っているのだから、あの人たちには不愉快なはずだが。

 第一の推測は、ああいう危険な本でも、一定の条件で許可すれば、

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