プーチン氏による「国家資本主義」経済の現実
2017年05月31日
ロシアのプーチン大統領が旧ソ連の保安・情報機関である国家保安委員会(KGB)の要員だったことは周知の事実である。そのプーチン氏が、1980年代後半の旧東ドイツ勤務時に仕えたKGB組織の元上司が90歳を迎えたのを祝うため、モスクワ市内の自宅を訪れたことが、ロシアで話題になった。
元上司は、旧東独時代にドレスデンのソ連総領事館内にあったKGB組織の責任者を勤めたラザリ・マトベーエフ氏だ。プーチン氏もこの総領事館に勤務し、マトベーエフ氏の指揮の下で、東西両ドイツの政党や産業界の動向などの情報収集にあたった。
誕生日祝いの様子を伝えるロシア大統領府のホームページには、元上司と抱き合うプーチン氏の写真も出ているが、目尻のしわやあごのたるみが目につく。公式の場でのエネルギッシュな姿と違い、普段着では、今年10月で65歳になる年齢が隠せない。
一緒にマトベーエフ氏指揮下の旧東独KGB組織で働き、今はロシアの最も重要な産業分野の運営をまかされている二人の人物も、誕生日祝いに駆けつけたことだ。
一人は、カラシニコフ自動小銃といった兵器、自動車、ハイテク製品などの生産から武器輸出まで、軍需・民生企業約700企業を傘下に置く国営持ち株会社「ロステフ」のセルゲイ・チェメゾフ社長(65)だ。もう一人は、ロシアの主力産業である石油や天然ガスの運搬を担うパイプラインの国営運営会社「トランスネフチ」のニコライ・トカレフ社長(66)である。ともにプーチン氏とドレスデンのソ連総領事館で同僚だった。
チェメゾフ氏はソ連軍参謀本部の軍事アカデミーで学び、KGBから東独に派遣され、ソ連の試験工業企業駐在代表の肩書で勤務した。KGBを退役後、1996年に大統領府総務局の対外経済関係部長となった。当時大統領府総務局次長だったプーチン氏の引きとされ、99年からはロシアの武器輸出を担当する国営企業をずっと率いてきた。
トカレフ氏もKGBを退役後、独ロの合弁リース会社を経て1996年からロシア大統領府総務局で海外資産の管理にあたった。やはりプーチン氏の引きと見られ、2000年からベトナムなど外国で石油採掘に当たる国営企業の社長を勤めた後、07年からトランスネフチの社長を続けている。
プーチン氏自身はKGBを退役後、郷里のサンクトペテルブルク市に務め、第一副市長まで昇進した。1996年にロシア大統領府に移り、2000年に大統領になった。その後は、自らの権力掌握の度合いを高めるごとに元同僚の側近たちを使い、国家経済の重要分野の支配を進めてきた。世界最大の天然ガス企業「ガスプロム」や国営石油企業の「ロスネフチ」も、ペテルブルク市時代の同僚がずっと社長を勤めている。
ロシアは国内総生産(GDP)の75%を国家セクターが占め、「国家資本主義」体制に入ったともいわれる。国家セクターの中でも基幹的で戦略的な位置づけを持つのは資源エネルギーと軍需、国策に関係する銀行といった分野だ。
「国家資本主義」体制の最大の特徴は、プーチン氏が過去の個人的関係から絶対の信頼を置く側近たちの支配が確立したことである。誕生日祝いの光景は、そのあからさまな例証の意味合いを持つのだ。
では、この「国家資本主義」は有効に機能してきたのだろうか。プーチン氏の元顧問で今は政府の経済政策に批判的な経済学者のアンドレイ・イラリオノフ氏が、独立系ラジオ「モスクワのこだま」で興味深い見解を示していたので紹介しよう。
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