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[1]民主主義と多数決

規範を否定し、歴史を逆転させたトランプの選挙キャンペーン

山口二郎 法政大学法学部教授(政治学)

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2017年1月13日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

 

拡大講演する山口二郎教授

山口:今年も立憲デモクラシー講座をよろしくお願いいたします。きょうは「民主主義と多数決」というテーマを仮に出したのですが、私は政治学が専門なので、民主主義と多数決原理の関係について理論的にというよりも、いまの日本に存在する、そして安倍政治を支える多数意思なるものは一体何なのかということを最後の後半部分でお話をしたいと思います。世論調査を見ても、時事通信の調査では、また内閣支持率が50パーセントを超えました。カジノと年金カット法でいったんちょっと下がったのが、また元に戻ったというニュースがさっきありまして、多数意思なるものは一体何なのだろうかという問いを考えたいわけであります。

 時節柄、まず民主政治の現状について、雑感のようなお話をしておきたいと思います。昨年、2016年は民主政治にとって、まことにまがまがしい一年でありました。イギリスの国民投票、アメリカの大統領選挙、ヨーロッパにおける極右勢力の台頭などなど、いろいろな問題が次から次へと起こったわけであります。ひょっとすると2016年というのは、民主政治の終わりの始まりの年になるのかと不吉な予感さえいたします。

「一人勝ちの経済と社会」への反発がトランプ勝利をもたらした

 まずアメリカ大統領選挙とは何だったのかというお話を簡単にしておきたいと思います。よく言われておりますように、ウォールストリートの横暴、あるいはそれに結びついたエリート政治家に対する反発がトランプ勝利をもたらしたという構図は、私も同感であります。その根底にあるのは、ウィナー・テイク・オールの経済と社会。要するに日本語で言えば、「一人勝ちの経済と社会」ということですね。

 1930年代以降、アメリカでいえばニューディール、それから第2次世界大戦後、イギリスその他のヨーロッパでできた福祉国家の体制、これらはウィナー・テイク・オールではありません。もちろん競争に勝った企業や人が富をたくさん手にするわけですが、それをある程度再分配する、そして社会の特に真ん中から下のほうに再分配をして、ある程度の平等を実現していくという政策のパラダイムが欧米、さらには日本で共有されたわけです。しかし、ご承知のとおり、1990年代以降、社会主義が崩壊し、グローバル資本主義が大手を振って、世界を席巻する時代、ウィナー・テイク・オールの時代に逆戻りしたわけであります。

 このウィナー・テイク・オールに対して、雇用が脅かされる、あるいは賃金が低下するというコストを押しつけられた人々が欲求不満を募らせる。そこのところをうまく刺激して、憎悪や反発を動員することによって支持を集める、選挙で勝つという、デマゴーグのような政治家が登場してきたという構図であります。それ自体は別に新しい状況ではありません。

 アメリカの歴史を振り返りますと、19世紀の後半、アメリカで産業革命が起こり、急速に工業化した時代、やはり富の集中という現象は起こったわけでありまして、その時代に人民党(Populist Party)という政党ができ、2大政党に対抗する運動が広がった時期があります。ポピュリズムというのは19世紀後半のアメリカに始まりがあるということができます。この19世紀のポピュリズムというのは、やはり本物の強者に対する反発というまっとうな運動だったわけです。ポピュリズムの運動は大統領選挙等では敗れたわけですけれども、そのエネルギーを受け止めて、例えば独占禁止関係の法律をつくるとかいった資本主義を修正する動きが起こります。そのポピュリズムの運動は政治の改革の原動力になり、後にニューディールを支える一つの政治的な流れであったということです。

21世紀のポピュリズムは強者ではない者に憎悪の矛先

 ところが21世紀のポピュリズムというのは本当の強者、あるいは本当のリッチな人々に攻撃を向けるのではなくて、むしろ移民とか、強者じゃないところにその憎悪の矛先を向ける、そこに非常に困った特徴があるというわけです。19世紀のポピュリズムというと、民主党の大統領候補にもなったウィリアム・ジェニングス・ブライアンという人物がいましたけれども、これは本当に大資本家と戦う庶民のヒーローみたいなイメージだったわけです。21世紀のトランプは、ある部分で大資本と結託したヒラリー・クリントンを攻撃しました。実際、選挙に勝った後にやろうとしていることは、このあいだの朝日新聞の記事にもあったように、将軍とそれから大金持ちとゴールドマンサックスの関係者で政府をつくるということになりまして、格差や貧困に対する人々のうらみをうまくかすめとって、新たな金権政治をこれから展開するのかなという感じですね。だから偽救世主というのはそこに理由があるわけです。

規範を根本から否定するトランプの政治手法

 トランプが勝ったことというのは、私は民主政治とって、非常に不吉な意味を持っていると思います。何が一番困るかというと、規範とか原理、あるいは建前というものを根本から否定するというところにトランプの政治手法があるからであります。言うまでもありません。民主政治にはいろいろな前提があります。規範とか価値といったものです。

 例えば、アメリカにおける最も大事な建前は独立宣言に書いてあります。そのなかで、非常に広く人々に親しまれている言葉があります。すべての人間は平等につくられ、クリエーター、造物主、神によって、奪うことのできない権利を付与されている。そのなかには生命、自由、幸福の追求があるというわけですね。この生命、自由、幸福の追求というのは、日本国憲法にも取り入れられた、人類普遍の原理であります。

 こういう建前とか規範というのは、世の中の現実とは大いに食い違う。それは子どもでもわかることですね。実際の世の中には差別や格差があふれているわけでありまして、独立宣言に書いてある言葉というのは、まことに空々しい建前にすぎないといちゃもんをつける、あるいは冷笑することは極めて容易ではあります。しかし、例えばアメリカの二百数十年の民主政治の歴史を顧みれば、少数者の特権であった自由や個人の尊厳を普遍化した歴史であるということができます。

自由や権利を普遍化していくのが民主主義の歴史

拡大講演する山口二郎教授
 資料に赤で色をつけた「all men」=「すべての人間」という言葉は、この宣言が書かれた時点においては文字通りmen=男しか意味していなかった。それも白人の財産と教養を持った男性だけを意味していたわけですね。しかしながら、その後いろいろな闘いのなかで、menという言葉の意味が広げられていったわけですよね。女性も参政権をよこせという運動があり、第1次世界大戦後に女性参政権も実現した。さらには黒人も平等な権利をよこせということで、1950年代、60年代に公民権運動によって平等な政治参加が実現した。あるいは貧乏な労働者、あるいは宗教、文化的な背景を異にする移民。こういった人たちもやはりmenのなかに組み込まれていったわけですよね。

 だから自由や権利を普遍化していくということが民主主義の歴史でありました。建前や規範が現実とかけ離れているからといって、そのような建前を掲げることが無意味だというわけではない。むしろ建前からかけ離れた現実のほうを少しずつであっても、規範、建前のほうに近づけていくという努力そのものが民主政治の歴史だったわけです。

 トランプの選挙キャンペーンというのは、そういった歴史の針、時計の針を逆転させたと私は思っています。つまり建前を否定したいという人たちは常にいるわけですけれども、とりわけ自由や尊厳を独り占めにしたい、もうこれ以上新参者に自由や権利を与える必要はないというかつての社会の主流派のわがままやあせりをうまく刺激した。そのことによって大きな支持を得たのが今回の大統領選挙だったわけですね。だから建前を否定する、歴史の流れをここで逆転させるというところに、昨年の大統領選挙の大きな意味があったということです。

 これは政治学者がずっと言ってきたこと、例えば丸山眞男なんかも言ってきたことですが、規範、建前は、この世にそのまま実現するものではないけれども、悪しき現実を一歩でも変える際、いわばテコの支点になる役割を果たしてきたわけですね。逆に言うと、悪しき現実を喜ぶ人間こそが建前を否定するということができるわけであります。

脆弱になったイギリスの政治エリート

 もう一つ、イギリスにおけるEU離脱の国民投票。これもやっぱり民主政治にとっては非常に大きな衝撃でありました。イギリスという国には伝統的に議会主権という観念があったわけですね。国民が選んだ議会が国に関する物事を決める最高の意思決定機関であるという考え方ですね。国民に決めさせるということには大きなリスクが伴う。これはイギリスの民主政治のなかで維持されてきた一つの考え方でありました。しかしながら、昨年EUを離脱するかどうか、国民に決めさせるという投票をし、予想外の離脱という決定になってしまったわけです。

 なぜ国民投票をしたかというと、これは当時のイギリスのキャメロン首相は保守党のなかのアンチヨーロッパ派をうまく押さえ込むことができない。保守党のなかでの意思決定の不全を補うという意味で、国民投票でEU存続を決めて、保守党のなか、あるいはその他、イギリス独立党など、周辺的な政党を押さえ込むというねらいがあったわけですね。そういう意味では、イギリスにおいて政治エリートは脆弱になったということができます。

 そのエリートが脆弱になったという変化を埋めるような形で、ファラージというイギリス独立党の党首になるデマゴーグが登場してきたわけですね。そしてEUに支払っている分担金を国内の社会保障に回せば、国民は救われるというような、大変いんちきなスローガンを振りまいて、EU離脱の方向に民意を引っ張っていったわけです。

 国民投票のあとに、ファラージという政治家はその分担金をめぐる議論が間違っていたと認めたわけですけれども、時すでに遅しであります。Post-truthという言葉は昨年日本でもだいぶ紹介されましたけれども、脱真実、ポストだから、真実を越える、真実を顧みない。つくり話でもって民意を操縦していくというような大変厄介な政治手法が成功するという時代になってしまったわけですね。民主政治の長い歴史を持つ英米両国において、多数意思なるものが本当に誤りなき政策決定につながるのかどうかという大変大きな問いを突きつけられたのが昨年の経験でありました。

建前の訴求力が低下している

 私たちはどんなことがあっても、憲法で規定されている基本的人権や民主政治の規範、建前を守っていこうと言い続けなければいけませんが、欧米の混乱が突きつけた課題は、やはり建前の訴求力、あるいは魅力が低下しているということだろうと思います。経済的な不安定や生活苦のなかにいる人々のなかで、再び建前への支持を取り戻すことは可能だろうか。公民権運動を進めた黒人たちにしても、あるいは南アフリカでアパルトヘイトと闘ったマンデラほかの黒人たちにしても、人間平等という建前というものが光り輝いていて、それを自分たちも実現をするという動機で運動を続けていったわけですよね。

 今日、グローバル経済がもたらす雇用の不安定や貧困のなかで、打ちひしがれている人々が憲法で書いてある様々な人権というものを自分たちがもう一回実現するんだという前向きな方向で闘いを始めるというふうになればいいんですが、そうなっていません。建前というものがどんどん空虚になっていって、しかもあとからやってくる移民なんかに、その建前を当てはめるということが、むしろ自分たちを不幸にするんだといった排他的、あるいは自己中心的な発想で政治に関わっていくということをどうやって防ぐか。これは本当に極めて大きな難問であります。

 日本で憲法を守ろうという運動を進めていく私たちとしても、社会経済的な争点と憲法との結びつきをわかりやすく描くということは改めて必要になってくる。私は立憲デモクラシーの会と並んで、いま現実の政治と関わって、野党結集の旗を振っているのですが、そこで政策を議論するときにもいつも言っている話であります。

「第3の道」路線の破綻

 もう一つ、私の個人的な関心に照らして申しますと、特にイギリスの国民投票の結果、あるいはアメリカにおける民主党の敗北というのは、1990年代以降、アメリカの民主党リベラル、あるいはヨーロッパの社会民主主義、中道左派と呼ばれる政治勢力が追求してきた、いわゆる第3の道という路線の破綻を意味しているということなのだろうと思うのです。

 クリントンの夫のほうですね、ビル・クリントン、それからイギリスでいえば、トニー・ブレア、ドイツでいえばシュレーダーといった、リベラルや左派系の政治家が90年代に権力をとることに成功しました。このとき、伝統的な社会民主主義、あるいは大きな福祉国家のような路線を修正するということで、支持を広げたわけですね。つまりグローバル化をある意味で、必然の傾向として受け入れつつ、経済的な活力を保ちながら、かつ、社会的な公平を維持していく。グローバル資本主義と社会民主主義の折衷みたいなことを唱えたわけですね。第3の道というのは、伝統的な社会民主主義、福祉国家でもなく、市場万能のサッチャリズムでもない、第3の道だということです。

 イギリスの場合は労働党が政権をとって、例えば医療の立て直しとか、教育に対する予算の増額とか、子どもの貧困への取り組みとか、いろいろ見るべき成果は出たと、私は比較的、第3の道を肯定的に評価したい側ですけれども。しかし、金融資本主義の跳梁跋扈、あるいはリーマン・ショックに象徴される投機=Speculationをテコとした安易な景気拡大路線みたいなものが失敗をした。そしてグローバル資本主義がもたらす雇用の劣化や貧困格差に対して、有効な対策を十分打てなかった。こういう不満がとりわけ労働者層に広がっているということも事実なんです。

 特にアメリカの場合は、皆さんご存じのように、工場労働者がたくさん住んでいて、労働組合を通して、民主党の支持基盤であると長年思われてきた五大湖周辺の地域、ミシガン州とオハイオ州、ペンシルベニア州といったところでクリントンが負けたというのが直接的な敗因になっています。こういうところで労働者層がトランプに寝返ったとまでは言えないのかもしれませんが、明らかに民主党の応援をやめたということが、やはり民主党の敗因ですね。

 そういう折衷的な、あるいは微温的な第3の道なんていう路線じゃなくて、やっぱり「もっと伝統的な左派路線に戻れ」と、「資本主義と敵対し、大企業と敵対し、きっちりと再分配を行って、医療や福祉、教育にもっと金使え」と、こういう主張をする政治家がアメリカでいえばサンダース上院議員、イギリスでいえば労働党のコービン党首などが台頭してきたわけですね。それはそれで、左派のサークルのなかでは大いに盛り上がるわけです。大統領選挙の予備選におけるサンダースの大善戦もその結果だし、イギリスの場合も労働党の党首というのは、一般党員の選挙でもって選ぶわけでして、そうすると一般党員はやっぱり第3の道よりも、伝統的な左派がいま必要なんだ、「貧乏人と労働者の味方であるということをもっと鮮明に打ち出せ」、そういう一般党員の意思でコービンが選ばれているわけですね。

 しかしながら、問題はやっぱりあるわけでして、内輪で盛り上がっても選挙には勝てないという限界ですね。だからサンダースも民主党の大統領候補にはなれなかったし、コービンが代表になった労働党というのは、ますます政権交代から遠ざかっているというのが一般的な評価なわけです。

 そうすると、政権交代を起こすことによって、資本主義を修正して、再分配を強化する、そういった政権交代による政策転換というモデルが21世紀、2010年代に依然として有効なのかどうかという非常に深刻な問いを突きつけられている。私もこの問いについてはまだ明確な答えを持っていないので、困ったなぁっていうのが正直なところですね。

(写真撮影:吉永考宏)

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筆者

山口二郎

山口二郎(やまぐち・じろう) 法政大学法学部教授(政治学)

1958年生まれ。東京大学法学部卒。北海道大学法学部教授を経て、法政大学法学部教授(政治学)。主な著書に「大蔵官僚支配の終焉」、「政治改革」、「ブレア時代のイギリス」、「政権交代とは何だったのか」、「若者のための政治マニュアル」など。

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