中国・北朝鮮の脅威に対する安全確保、アベノミクスによる生活保守に期待する大衆
2017年06月21日
注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2017年1月13日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。
立憲デモクラシーの会ホームページ
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/
それからもう一つさっきの族議員という話ですが、自民党の中堅の政治家を官僚組織は教育したわけですね。いわば親衛隊をつくった。農水省も当時の建設省も厚生省も、自民党のなかに親衛隊をつくる。そして、親衛隊の政治家の先生方をうまく手なずける。ある部分わがままを聞く、利益誘導にも応えてあげる。その分の恩を売って、自分のところの政策を円滑に進めてもらう、あるいは組織防衛をする、予算を獲得する。そういう相互依存の関係があったわけですね。行政機構における割拠主義というものが、いわば永田町の自民党本部にも平行移動した。
そして自民党という政党も、求心力はあんまり持たない。総論は賛成だけれど、各論は反対みたいな特徴があったわけですね。これも権力の集中や暴走を防ぐという意味で言えば、プラスの要素もあったのかなと思えます。族議員というのは、政治の腐敗の元凶だと我々なんかはずいぶん批判してきたのですが、今日の政治状況を見てみると、党の執行部が何か言っても「断固反対!」とか言って暴れる政治家が少しいたほうが、独裁を防ぐという点では健全なのかなと思いますよね。
そういうことで、与党と行政というのはインフォーマルな結合をしていた。そのインフォーマルな結合のなかから政策形成が進んでいったということですね。他方、内閣というのは、いわば儀礼的な存在です。閣議決定というのは、確かに大事な手続きで、法案や予算を国会で提出するときに、閣議で決定しなければならない。それは大事な仕組みなのですが、それを実質的に構成する政治家というのは必ずしも有能、強力な政治家とは限らないわけです。だから内閣というのは政治的な意思が結集していくプールではなくて、飾りだということですね。それで内閣というのは形式上は行政のトップであるが、政治的主導機関という色彩は持っていなかったというわけです。
このへんは憲法学と政治学で、結構、議論が食い違うところです。憲法41条を読みますと、国会は国権の最高機関だと書いてある。その「最高機関」という文言の意味について、私が学生時代に習った芦部信喜先生の憲法学では、あるいはその前の宮沢俊義の憲法学では、「政治的美称」と説明されました。つまりこの「美称」というのは、平たく言えばおべんちゃらですね。戦後、国民主権の憲法ができたから、国民によって直接選ばれた国会が偉いという、その程度の話だと説明してきたのです。だからあくまで立法、司法、行政という三つの権力は横並びの関係であるというのが、伝統的な憲法学の説明だったわけです。そうすると内閣が統治の主体になって、官僚機構に対して上からコントロールをしていくというような力がなかなか出てこないということになるわけですね。
もう一つ、与党における分担管理と予定調和ということで、官僚機構の割拠主義、自民党の族議員体制、いずれも部分部分の合理性、あるいは部分の最適化というものを求める特徴があるわけですね。ですから、日本の政策形成において国益というのは、農水省の利益とか、建設省の利益、各省の利益を単純に足し算した和であるという定義の仕方になるわけですね。これが予定調和ということです。
要するに、あっちを引っ込めて、こっちを伸ばしてという、そういう意思決定が自民党という政党は極めて苦手であった。これは今日も尾を引いているわけです。少子化が起こることは、もう30年前からわかっていたけれど、何でいまだに保育所が足りないのかという、そういう問題はやっぱりここに原因があるわけです。
時代の変化を読み取って、ここの部分は大いに伸ばそう。ここの部分はもう時代遅れだから減らしていこう。そういう、まさに本来の意味でのリストラクチャリング、スクラップ・アンド・ビルドというのは、自民党という政党は極めて苦手である。官僚組織自身、自分から「うちの役所、仕事がもうあんまりないから、予算も人も返上します」などと言い出す役所は絶対ありませんからね。それと与党が、いわば一体化して仕事をしたということです。そのプラスとマイナスというのはあるわけですね。
いまから思うと、あれは一種の立憲主義だったなっていう話になります。これに対して、80年代後半から90年代、このような閉塞した仕組みでは日本は本当に時代に適応できないまま滅んでいくのではないかみたいな危機意識とか、問題意識というのがあったわけですよ。それが政治や行政の制度改革を進める動機であったということも確かです。
そのときに、司、司で各省に「じゃあ対策を持ってこい」と言ったら、これはやっぱり、従来の路線の延長線上でしか物事は変わらないわけですよね。ちょっと笑い話みたいな話があります。温暖化対策で政策を考えるといったら、当時の建設省が何を言ったかというと、交通渋滞でガソリンを浪費するとこれは温暖化を促進する。であるがゆえに、もっと道路をつくって、交差点を立体交差にして、渋滞をなくしましょう。それが温暖化対策ですと、まじめに言ったわけですよ。
そういう話というのはあっちこっちにあるわけです。だから司、司の予定調和ではもうだめだと。そうするとやっぱり大きな政策の構想図を描いて、それに沿って、スクラップ・アンド・ビルドをしていくためには、リーダーシップというものがなくてはいけない。リーダーシップを生み出すためには、政党の構造も変えなきゃいけない。あるいは行政府のその最高指導機関である内閣というものの位置づけも変えなきゃいけない。こういう論理で政治や行政の制度改革が大いに進んでいったわけですね。
政策の優先順位を変えるとか、温暖化対策で例えば炭素税みたいなものを導入するとか、少子化対策をするとか、これは従来の官僚がやってきた政策をある部分、否定することがどうしても必要であって、それを乗り越えて、実行していくための政治的な力がなきゃいけない。私なんかもそういう議論に加わった。
私の場合は1997年、イギリスに行って、労働党、ブレア政権の誕生の過程をずっと見て、「これは素晴らしいな」と思ったことが一つの動機でした。「左翼であっても、物事をちゃんと変えるときには権力を持たなきゃいけない」という感想を持ち、従来の抵抗ばかりしている革新勢力とは違う発想を持つに至った。その部分では、佐々木毅さんなんかと同じ側で制度を変えようといったことを言ったわけですね。
橋本行革というのは内閣、あるいは権力の中枢を強化する制度をつくりました。経済財政諮問会議のように司令塔を支えるブレーン機関というのもつくった。これは法律に根拠を持つ、非常に重要な機関でありまして、これが官邸の力を強化した。さらには
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください