鎌田實(かまた・みのる) 諏訪中央病院名誉院長、日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)理事長
1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒。長野県の諏訪中央病院に赴任。1991年より、ベラルーシ共和国の放射能汚染地帯へ医師団を派遣。2004年にはイラク支援を開始し、イラクの小児病院へ薬を送りつつ難民キャンプでの診療を実践してきた。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
戻ってきたとしても問題がある。子どもや女性、その家族を支えなければならないのだ
イラクで過激派組織「イスラム国」(IS)に拉致されていた5歳の少女が、3年ぶりに両親の元に戻った――。そんなニュースが6月9日、世界中に配信された。少女の名は、クリスティーナちゃん。
母親のアイーダさんは、テレビのインタビューで、「娘が返ってきた日が、私の人生の最良の日です」と答えている。目の不自由な父親も、喜びの声を地元紙に述べている。
「あっ、あのお母さんだ」
2年半ほど前、私はアルビルの難民キャンプで、この家族に会っていた。
アイーダさん家族はもともと、ハムダニア郡のカラクーシュで暮らしていた。しかし、14年6月、ISがモスルを制圧し、その2カ月後、カラクーシュにまで勢力を拡大した。ISはヤジディ教徒とキリスト教徒を迫害している。アイーダさん一家はキリスト教徒だったため、町を追われることになった。
「ISは、神は偉大なりと叫び、キリスト教徒は殺される前に出ていけと脅しました」
「ISの兵士は、私たちのカバンを調べ、金品、身分証明書、着るものまで盗っていきました。そして、2歳の娘を私の腕から奪いとって、連れていってしまったのです」
難民キャンプで会ったアイーダさんは、泣きながらそう語った。あまりに過酷な体験のためか、当時43歳のアイーダさんは年齢以上に年をとって見えた。
だが、娘のことをあきらめなかった。その後も、娘を取り戻すため、クルド自治政府やマスコミに強く訴え続けた。人を介してISの司令官に会いに行ったこともあったが、娘は返してもらえなかった。母は強しというが、よく勇気があったと思う。
人道支援団体もさまざまな支援を申し出たというが、彼女の願いは「娘が一刻も早く返ってほしい」ということだけだった。
その切なる願いが3年ぶりにかなったのだ。
クリスティーナちゃんが家族の元に戻れた背景には、ISの弱体化があると思う。
昨年秋から、イラク政府軍やクルド自治政府軍が中心になり、アメリカが後方支援する形で、ISからのモスル奪還作戦が開始された。モスルは人口180万人のイラク第二の都市。その真ん中を有名なチグリス川が流れている。すでに川の東側の解放はすすみ、西側にも広がっている。
追い詰められたISは、撤退していく際、モスル大学や中心的な病院を破壊していった。
今年3月、ぼくが代表をしているNPO日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)では、この1年間の支援計画を立てるために、イラクのアルビルで会議を開いた。
その会議で、モスルの小児がんセンターのイブンアシール病院の院長や医師たちが窮状を訴えた。
病院は、放火され、医療機器は機能しない。それでも、子どもたちの治療を止めることはできない。
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