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同じ公園には第2次大戦のさいの対独戦争の記念碑も拡大アルマトイ中心部の公園には第2次大戦のさいの対独戦争の記念碑も=撮影・筆者

 カザフ人の顔は日本人によく似ている。民族はモンゴル系だ。この国とモンゴルは隣あっている。かつては草原を馬で自由に行き来したのだろう。空港で迎えてくれた女性ガイドのジャナルさんも日本人のような顔をしている。ジャナルとは「瞳」の意味だ。

 ジャナルさんは中国の新疆ウイグル自治区で生まれ育った。カザフ政府の里帰りの呼びかけに応えてカザフスタンを訪れ、そのまま住み着いたという。新疆では中国政府によってウイグル人が圧迫されているが、カザフ人にとっても居心地は良くないようだ。中国からカザフに観光で訪れて住み着くカザフ人は多いという。

ロシア人が押し寄せた歴史

 カザフスタンは世界で第9位の広大な国土を持つのに人口は1700万人ほどでしかない。しかし、世界各地に散らばったカザフ人が1000万人規模でいる。カザフ政府はこうした同胞を吸収して国民をふやそうとしているのだ。カザフ人と証明されれば3か月で永住許可が出る。

 この国にはなんと137もの民族が共存しているという。そのうちカザフ民族は全人口の3分の2にすぎない。首都アルマトイの街を歩くと白人をよく見かける。ロシア人だ。ロシア人はカザフ人の次に人口が多く、国民の2割以上もいる。ソ連時代は人口の3分の1を占めていたという。

アルマトイ中心部の公演に建つロシア正教の教会拡大アルマトイ中心部の公園に建つロシア正教の教会=撮影・筆者
 19世紀に帝政ロシアが中央アジアを侵略したさいに要塞を造って拠点としたのがこの町だ。

 それ以来、カザフスタンにはロシア人が押し寄せた。国語はカザフ語だが、公用語はロシア語、と憲法で規定してある。看板はロシア語のキリル文字だ。カザフ人の大半はイスラム教徒だが、市の中心部にそびえるのはロシア正教の教会だ。

 帝政ロシアから社会主義のソ連に替わると、遊牧民もコルホーズなど集団農場に強制的に組み込まれた。このとき無理な定住で家畜が大量に死に、数万人の遊牧民が国境を越えて隣の中国に亡命した。もしかしてジャナルさんの先祖もその中にいたのかもしれない。

 ソ連時代はロシア人の天下だった。国家の政策としてロシア人やウクライナ人を数十万人規模でカザフスタンに入植させた。ロシア人がカザフ共産党の幹部に任命された。不満を持つカザフ人の中にロシアに対抗する民族主義が芽生えた。抵抗するカザフ人を鎮圧したカザフスタン共産党中央委員会第一書記は、功績を評価されてモスクワ中央に栄転した。後のブレジネフ書記長だ。

500回の核実験

 当時のカザフスタンではカザフ語を使うと非難され、バスの中でカザフ語を話せばバスから降ろされた。当時は宗教も制限された。イスラム教徒は豚肉を食べないが、食事に出た豚肉を食べなければ非難されたとジャナルさんはいう。

 カザフスタン北東部のセミパラチンスクはソ連時代に核実験場として使われた。 ・・・ログインして読む
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筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) フリー・ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。著書に『地球を活かすー市民が創る自然エネルギー』『活憲の時代』『変革の時代』『ゲバラの夢、熱き中南米』(以上、シネフロント社)、『一人の声が世界を変えた』『辺境を旅ゆけば日本が見えた』(以上、新日本出版社)、『世界一周 元気な市民力』(大月書店)、『反米大陸』(集英社新書)、『観光コースでないベトナム』(高文研)、『闘う新聞ーハンギョレの12年』(岩波ブックレット)、『燃える中南米』(岩波新書)など。

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