グスターボ・ドゥダメル氏と暴政の闘いから私たちが学ぶべきもの
2017年09月05日
グスターボ・ドゥダメル、1981年生まれの36歳のベネズエラ人指揮者である。若手だ。
貧困児童のための音楽プログラム〝エル・システマ〟を創始したホセ・アブレウ卿に見いだされ、ベネズエラの「成り上がりの象徴」でもあるスーパースターと言っていい。
私がドゥダメルを初めて生で聞いたのは2016年で、LAフィルのリハーサルに立ち会うことができた。ドゥダメルは、とにかく楽団員に〝personality〟を要求した。偉そうでも、高飛車でも、引っ込み思案でも、温厚でも、それぞれの楽団員に対し、「君は? どんな人間だい?」と問いかけながら、音楽を作った。
決してその個性を何かに収れんさせたり、強制的に一つの価値観を押しつけたりはしない。唯一、彼が繰り返し叫んだのは、「聞いて!」、「対話して!」、「自分がYesで相手がNoでも!」という言葉だった。あとは、ドゥダメルが指揮棒を振り上げれば、自然とすべての〝personality〟は交響的(公共的)空間で対話(熟議)を経て一つの音楽を形成していった。まさに「共生と調和」である。
ドゥダメルが壇上で創造する〝多様性〟〝対話〟〝調和〟〝共生〟の空間は、失われつつある熟議民主主義が理想とする空間と言える。私は法律家として、ここに急速に分断が進む世界や日本社会を治癒するヒントが隠されているのではないかと確信し、また、同世代であるというシンパシーからも、彼の音楽や動向から目が離せなくなったのである(2016年は香港全公演まで「追っかけ」をしたほどである)。
2004年、ドゥダメルは、マーラー国際指揮者コンクールに出場した。当時、この場で彼の演奏を目撃したエサペッカサロネンは、審査直後にLAフィルの事務局に連絡をした。
「僕の後任を見つけた。とても若いベネズエラ人だ」
どこの馬の骨ともわからないベネズエラの若者の名を指名された名門LAフィルは困惑した。
しかし、サロネンの審美眼は正しかった。彼の後任としてLAフィルの音楽監督になったドゥダメルは、現在、まさに時代の寵児(ちょうじ)として、世界を席巻している。世界中の主要オーケストラからオファーが殺到し、2017年1月1日には、指揮者として最高の栄誉といってよいウィーンフィルニューイヤーコンサートの指揮台にダントツの最年少として登壇した。これは、紅白歌合戦のトリを新人の中学生歌手がいきなり歌うくらい、異例なことだ。
ドゥダメルは〝ベネズエラの貧困の中から生まれたスーパースター〟というだけでなく、彼のリベラルな音楽観は、西海岸における「死にゆくアメリカの伝統と理念」を体現するとともに、アメリカ―ベネズエラという歴史問題をつなぐ文化外交としての側面もそこには存在する。
現代クラシック音楽界最後の救世主、指揮者のグスターボ・ドゥダメル。そんなベネズエラが生んだスーパースターが、現在、祖国ベネズエラの暴政に対し、闘っている。闘いの相手は政府であり、ニコラス・マドゥロ、ベネズエラ大統領である。大統領は、ドゥダメルを名指しで批判までしている。
ドゥダメルとともに権力に対峙するのは、純粋な美、自由、真理への意思と志向、そしてこれらと同等に普遍的である個人の尊厳である。
ベネズエラでは現在、毎日のようにニコラスマドゥロ大統領の退陣を要求するデモが行われている。4月から始まったデモ行動は、30人を超える死傷者と数百名の拘束者を出している。火炎瓶や催涙ガスが飛び交い、死傷者も出るほどの激しさで、同時に、武装グループが軍の基地を襲撃し武器を奪うなど、クーデターの不安までもが国内に充満し始めており、極めて不安定かつ危険な情勢とのことである。
この反政府デモが激しく燃え上がったきっかけとなったのは、野党が多数を占める国会権限を最高裁判所が剥奪(はくだつ)しようとしたからである。
現在、ベネズエラは、石油の輸出価格下落による歳入減のため、深刻な食糧難と生活必需品不足の状態にあり、インフレ率は今年700%に達するともいわれている。
さて、今年7月22日の反政府デモにおいて、激しい衝突と混沌の中、一人の青年がバイオリンを演奏していた。武器を楽器に持ち替え、非難と攻撃ではなく、その音色で対話と非暴力を表現しようとしたのだ。
彼の名はアルテアガといい、ドゥダメルがその一期生であった「エル・システマ」という音楽教育制度の学生だったのだ。「エル・システマ」は貧困・薬物・犯罪・虐待による社会の分断を音楽で治癒することを目的に設立された。
この無言の抗議活動はあっけなく暴力により制圧され、アルテアガは身柄を拘束された。「平和のバイオリニスト」の顔は腫れあがり、傷口から流血している画像がtwitterに動画投稿された。
8月20日付のロサンゼルスタイムズの記事は、アルテアガが8月15日に釈放されたと報じたが、しかし、なんとその釈放の交渉にはドゥダメルが関与したというのだ。ただし、ドゥダメル自身は交渉への関与への言及はしていない。
現在もベネズエラのシモンボリバル国立交響楽団の音楽監督であるドゥダメルは、これまでに、政治的なメッセージを強く発することはなく、現政権に批判的でないこと自体を非難されるということもあった。しかし、今年5月3日にエル・システマの一員であった18歳の音楽家が集会で殺害されたことを受けて、ドゥダメルは自由の戦士としての活動を開始する。
ドゥダメルは、この殺害事件の2日後、フェイスブックで文字通り「私は声を上げる」という標題で(スペイン語及び英語の2カ国語で)、「流血を正当化するものなど何もない」、「もうたくさんだ(Enought is enough)」と訴え始めた。
そしてさらに語気を強め、「耐え難い危機に押しつぶされ、息ができずにもがき苦しむ人たちの公正な叫びを、これ以上無視してはならない」、「いかなるイデオロギーであろうと、公共の福祉にまさるものはない」、「政治は良心をよりどころに、憲法を最大限尊重して行わなければならない」と続けた。
また、ニコラス・マドゥロ大統領に対し、「ベネズエラ国民の声を聞き」、「反対意見を表明し、互いを尊重し、寛容に、対話を自由に行える」制度を構築することを求めた。
そんなドゥダメルに対し、大統領は8月に出演したテレビで皮肉たっぷりに応答した、
“Welcome to politics, Gustavo Dudamel.(政治の世界へようこそ、ドゥダメル)"
この応答とともに、大統領はドゥダメルを名指しで批判し、ドゥダメルが音楽監督を務めるシモン・ボリバル・ユースオーケストラの米国公演は中止となった(大統領が中止命令を出したという報道も存在するが、いまだ公式にはその真偽をたしかめられていない)。
若者だけの180名で編成されたユース・オーケストラは、米国4都市での公演を予定していたのだ。ドゥダメルは、「ユース・オーケストラの4都市での演奏ツアー中止は心が痛む。若い音楽家たちと演奏するという私の夢は今回は実現できなかった」、「引き続き演奏を続け、より良いベネズエラ、より良い世界のために闘う」とツイートした。
20世紀を代表する第2次世界大戦前後の指揮者たち、トスカニーニやワルターらは、亡命などをしながらナチズムやファシズムと徹底的に闘った。
かのバーンスタインは、自由の戦士として、崩壊したベルリンの壁の前で、東西を越えた世界中のオーケストラを一堂に集め、ベートーベンの第九の指揮をした(このときの録音は残っているが、4楽章以下の合唱におけるFreude!(喜び)をFleiheit!(自由)に替えて歌い上げた)。バレンボイムは中東に思いをはせ、ウィーンのニューイヤーコンサートで「中東に正義が行われんことを」と異例の発言をした。
そんな人たちの系譜に、ドゥダメルは今、立たされている。彼は、自由や平和の戦士として、闘う運命にあるのだ。彼らは、憲法や近代市民社会が育ててきた自由、ときに反社会的・反権力的でありさえする自由の価値を自ら体現する存在である。その意味で、自由の化身ともいえるだろう。だからこそ、彼らは自らが自由の体現者として全力で闘えるのだ。彼らの生きざまは現代社会における自由そのものとしてそこに存在しているのだ。
いやしくも、ドゥダメルが「声を上げる」とした叫びの中には、「政治は良心をよりどころに」、「憲法を最大限尊重すべき」、「国民の声を聴き」、「反対意見を表明し、互いを尊重し、寛容に、対話を自由に行える」という、近代市民社会が共生のために導き出した立憲主義の核となるような言葉がちりばめられている。これはある意味で、その存在自身が自由の化身である人間が、権力と対峙したときに発するワードとして必然なのではないだろうか。
自由のために闘う彼らを支えること、そして支持することは、我々市民社会がもつ自由や良心を支持することだと私は考える。
ドゥダメルとベネズエラ国立交響楽団の世界ツアーは今年11月に予定され、アジアでは中国、台湾、香港をまわるにもかかわらず、日本はこのツアーのホスト国となれなかった。このこと自体が、官民あわせた日本文化外交の脆弱(ぜいじゃく)さを露呈していないだろうか。
政治的思惑と、北米と南米の歴史的軋轢(あつれき)があるとはいえ、トランプ大統領はベネズエラの情勢不安とその根源にあるマドゥロ大統領の政権運営を苛烈(かれつ)に非難し、軍事行動も辞さないという姿勢を見せている。日米の関係を「希望の同盟」と言って疑わない日本政府は外交的にどのようなスタンスでこれに臨むのか。これは「南米の一国の暴政と指揮者の物語」ではおさまらないはずの問題だ。
民主党政権下で尖閣諸島をめぐる衝突事件が勃発したとき、中国人演奏家のランランやユンディ・リの来日公演は中止された。政治が自由や真理という普遍的価値を蹴散らし、攻撃しようとしたとき、真っ先にその爆風を受けるのは芸術や芸術家かもしれない。その姿はまるでカナリアのようだ。
よく言われることだが、音楽に国境はないが、音楽家には国境はある。
自由や権利という普遍的な価値・概念に国境はないはずだが、いまだにこれらの実践は国家の枠組みに影響を受けざるを得ない。
だからこそ、国家の枠組みを越えて、普遍的価値を共有し拡張することは、国家の役割でもあり、政治の役割でもある。
ドゥダメルの闘いを見守るとともに、その闘いの先にある価値に対して、我々個人、そして日本という国家はどのようにコミットしていくのだろうか。外交は安全保障や経済だけのためでも、政治家や外交官のためだけにあるのでもない。我々一人一人の手にもあるのだ。世界が狭量で内向的なベクトルに向かおうとしている今だからこそ、我々一人一人があきらめずに普遍的価値を訴求し続けようではないか。
なぜなら、36歳の若者が今、リスクをおかして自由のために一人で戦っているのだから。
本稿は、クラシック愛好家のために、南米の一指揮者が暴政に立ち向かうストーリーを紹介したわけではない。
ドゥダメルが自由の庇護(ひご)者として権力に立ち向かったその姿と内実を、現在、日本社会でも失われつつある普遍的価値を再奪還するためのシンボリックな事例として紹介し、そこに賛意を表明したかったからだ。
私は34歳の法律家として、ドゥダメルの一連の行動に刺激を受けた。勇気をもらい、襟を正した。
青年ドゥダメルが、大きな力に庇護されてもいない中、強大な国家権力と対峙する。指揮棒を持ち、指揮台で平和な音楽の中心にいるはずの彼が、世界で引っ張りだこのスーパースターが、身柄を拘束された若者の釈放交渉に関与したとしたら、あるいは大統領という国家権力に対し、権利と自由の価値を込めて言葉をぶつけているとしたら、彼はどれだけ孤独で不安だろうか。それを迎え撃つのは「〝Welcome to politics, Gustavo Dudamel〟(政治の世界へようこそ、ドゥダメル)」と手ぐすねを引く、権力のブラックホールだ。
しかし、彼は「声」を上げた。彼が楽譜や指揮棒を通じてコミットしている、国家や国境を越えた普遍的な価値が彼にそうさせたといえるだろう。
36歳の青年指揮者の、「自由の戦士」としての闘いは今、始まったばかりである。
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