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時代とズレている首相の衆院解散

「解散しない」が世界の潮流。「強く」なった首相にとって解散権は「無用の宝刀」

野中尚人 学習院大学教授

 野党はもちろん与党にも、それと知られないうちに心を決め、やおら「伝家の宝刀」を抜く。首相の専権事項とも言われる衆議院の解散・総選挙。まさに「抜き打ち」といっていい今回の解散に安倍晋三首相はいま、自らの権力をあらためて実感しているのであろうか。

政治的な駆け引きとしては妥当だが……

2014年11月の衆院解散で万歳する衆院議員。このときも安倍首相の「抜き打ち」解散だった=2014年11月21日2014年11月の衆院解散で万歳する衆院議員。このときも安倍首相の「抜き打ち」解散だった=2014年11月21日

 野党や新党などの対抗勢力が態勢を整えないよう、解散の意思を悟らせずに不意打ちを食らわせる。それは政治的な駆け引きとしては妥当であろう。とはいえ、やはり不意打ちを食らった与党も含め、本来、選挙で問われるべき政権構想を各政党が十分に準備できないまま、有権者に選択を迫るとしたら、それは意味のある選挙といえるだろうか。

 おまけに今回は、野党が憲法の規定に従って要求した臨時国会の開催に内閣が応じず、ようやく開いたところ、冒頭での解散である。森友学園、加計学園をめぐる問題を追及されたくないとの思いが動機のひとつだったのだろうが、客観的にみて、首相の相当に恣意(しい)的な権力運用、憲法軽視と言わざるを得ない。

 確かに解散は憲法に認められた、あるいは憲法によって「許容された」権利ではある。だが、衆議院で不信任された内閣が総辞職を避けるための69条による解散はともかく、首相が自分の判断でおこなう7条による解散は、そろそろ考え直す時期にきているのではないか。世界の潮流、日本政治の現状に照らして見れば、明らかに時代からズレているからである。

内閣不信任を受けた解散があるわけ

 そもそも、議会の解散は何のためにあるのだろうか? まずは歴史的な観点から見てみる。

 中世の時代、ヨーロッパではじまった議会は、もともと国王が有力者を集め、自分がやりたいことへの同意を求め、お金を出してもらうことが主目的だった。当然ながら、議会の召集、停会、解散はすべて国王の権限でおこなわれた。

 その後、時間がたつにつれ、国王を補佐する「政府」は次第に議会に依存するようになり、ついには議会の信任によって成立する議院内閣制へと発展を遂げた。すなわち、政府のメンバーが議会の多数派から選ばれるかわりに、議会に対して信任を確保することが求められるようになったのである。

 議会は、多数派の中のリーダー層によって構成される政府に対して、大抵の場合は従う。しかし、時に多数派の中の陣笠議員たちが政府に強く反発したり、多数派が分裂したりして、政府が信任を失うケースがあった。こうした場合に、政府と議会の対立を解消するため、議会を解散して国民に判断を委ねたのが、先述した69条解散の原型である。議院内閣制を採用する先進主要国は、いずれもこのタイプの解散の制度を持っている。

首相の専断としての解散権の来歴

 問題は、この他に国王に認められた「大権」に基づく解散が存在したことだ。イギリスではこれをプレロガティブ(Royal Prerogative)と呼ぶ。つまり、国王が全くの独断で議会を解散していた頃の特別の権能を、首相が引き継いだのである。これが7条解散のルーツである。

 このタイプの解散がイギリスで温存されたのは、統治の最高責任者として、首相が議会を臨機応変にコントロールにする必要があると考えられたからだ。ただ、実際には解散権は担保するが、与野党のマニフェストがそろったところでという「あうん」の呼吸だった。言い換えれば、「不意打ち解散」はほぼ禁じ手とされてきた。さらに20世紀後半になると、それでさえ与党に有利過ぎるという批判にくわえ、フェアな競争が担保された選挙が民主主義には必要だという観点から、解散権自体を見直す機運が高まったのである。

議会の任期を5年に固定したイギリス

 その結果、2011年、下院議員の総選挙の選挙日を原則として5年ごとの所定の日に固定する「議会任期固定法」が成立した。首相の専断としての解散権は事実上、使えなくなったのである。

 ただ、同法のもとでも、①下院で政権の不信任案が可決され、14日以内に下院の信任を受ける内閣が発足しない②下院の3分の2の賛成がある――場合に限り、解散・総選挙は可能だ。メイ首相は今年5月、下院を解散したが、それは②に則したものだ。

 日本がモデルとしてきたイギリスの議会におけるこうした変化は、当然、日本にも当てはまるはずである。実際、ドイツやフランスをはじめとする多くの先進民主国では、以前から、首相の任意による解散権に制約をかけてきたが、近年は、イギリス型の「ウェストミンスターモデル」を採用した国々でも、解散を制限する例が増えている。つまり、為政者による恣意(しい)的な解散権を使えなくするのが世界の大きな潮流なのである。

「弱い首相」の典型だった日本の首相

 日本独自の理由からも、首相の解散権は時代にそぐわなくなっている。

 日本で戦後、解散権が容認されてきた重要な背景に、戦後早い時期からいわゆる55年体制の時代、1990年ぐらいまで、日本の首相が世界的に「弱い首相」の典型だったという現実がある。

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