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早期解散の論理と民主主義の後退

数の論理を超えた民主主義精神の根幹をめぐる試練の時を迎えた

渡邊啓貴 帝京大学教授、東京外国語大学名誉教授(ヨーロッパ政治外交、国際関係論) 

今回の総選挙で民主主義が活性化するか?

雨の中、街頭演説を聞く有権者たち=10月15日、東京都内(選挙カーなどにモザイクをかけています)雨の中、街頭演説を聞く有権者たち=10月15日、東京都内(選挙カーなどにモザイクをかけています)

 安倍政権が任期を1年以上残して解散した。民進党が瓦解(がかい)状態で野党が弱体というタイミングをとらえて、自公与党で過半数を目標に掲げての解散だった。

 野党が主張するように、森友・加計学園問題解明のための議論を避けた論点外しのための選挙、また安倍総理自らが主張する近い将来の改憲を念頭に置いた選挙であることはたしかだ。任期を残して解散する危機的事態に政局があるわけではない。野党が準備ができていない千載一遇の機会を狙った考え抜かれた解散であった。メディアでは安倍政権の方向性を危ぶむ声も大きいし、与党の延命が何よりも最優勢する「大義なき選挙」あるという野党の声にも一理ある。

 もちろんこの解散は違法ではない。それも民主主義の制度の合法的一部であるが、より深刻なのは、このことで日本の民主主義が活性化するのかということだ。おそらく得票率は減るだろう。そして与党のもくろみ通りの結果が出たならば、議会選挙が党利党略の具となったことが如実となったことと、それを日本の国民が認めたことを意味することになる。

 それは国民にとって政治に対する期待感の後退の表れでもある。なぜなら、出た結果は多くの国民にとってネガティブチョイスの結果でしかないからだ。民主主義は数の論理でしかないという形式的な一面だけが突出し、真に前向きな議論をする制度ではないという不信感が増幅されるだけだからだ。数の力で政権はとっても民主的政治の活力は育成されない。それでは社会が新しい方向に向かって改善されることはない。

 いったん盛り上がった小池ブームが民主党大物政治家に対する踏み絵を課したことで野党勢力が失速したのも同じ意味だ。結局、安倍政権の「しがらみ政治」を糾弾しながら、小池新党は自らの「しがらみ」を清算する気がなかったことを白日の下にさらしたからだ。そして政策の新機軸がないことも露呈させた。

仏国民議会選挙―左派の予想外の勝利

 当初、安倍総理が過半数を勝利ラインとしながら大勝した2014年末の総選挙の時もそうだったが、任期を残した解散総選挙に遭遇するたびに筆者は今からちょうど20年前のフランスの選挙を思い出す。

 1997年6月1日の国民議会選挙第2回投票では予想を覆して、ジョスパン第一書記の率いる社会党が勝利した。フランスの国民議会議員の任期は5年であるから、まだ1年の任期を残したシラク政権による解散選挙の結果であった。

 シラク大統領が翌年の98年3月に予定されていた国民議会選挙の繰り上げを決断したのは、93年の総選挙で得た8割以上の与党の議席を目減りさせても2002年の大統領任期満了まで安定多数を維持することにあった。それまでに欧州通貨統合参加基準達成のための緊縮政策を進めていきながら、長期的展望をもって行財政の構造改革を遂行したいという意図がそこにはあった。

 当時の経済的苦境の中では、当然国民に負担を強いる不人気政策を進めていかねばならず、世論調査で過半数を維持できるうちに与党の政権の延命を図っておきたいというのがその真意だった。加えて公務員削減策に対する反政府抗議活動が頂点に達した96年秋に比べると、この時期、大統領・首相の人気が上向き始めたという楽観的認識もあった。

 そして、選挙の前倒しは準備不足の野党を出し抜く有力な手段でもあった。実はこの選挙の直前まで社会党は4年前の総選挙の大敗から立ち直っていなかった。社会党の主だった政治家たちはこの選挙の先頭に立とうとしなかった。大敗は確実であること見られていたからだった。最終的には教育相の経験があった不人気のジョスパンが第一書記となって選挙を率いることになったが、当初ジョスパンに期待する向きは少なかった。

狡知を見破ったフランス国民

 しかし、結果は左翼の予想外の大勝だった。そのシラク政権の決断は結局、拙速にすぎなかった。

 選挙結果は、国民議会577議席中、左派全体の319議席に対して、保守派与党連合はわずかに257議席を獲得したにとどまった。社会党は単独過半数を得ることはできなかったが、前回93年の総選挙時から大きく躍進して245議席を獲得した。共産党も13議席増の38議席となった。また、環境保護派の「緑の党」が8議席を獲得した。保守派与党連合(RPR(共和国連合)とフランス民主連合(UDF))は、4年前の93年3月の選挙で得た議席(485議席獲得)をほぼ半減し、勢力を大幅に後退させた。

 社会党を中心に環境派・左翼諸派を糾合して、ジョスパンは「多様な左翼( gauche plurielle)」を標榜(ひょうぼう)して広範な支持を取り付けた。フランスでも左翼は歴史的に思想信条と派閥抗争でまとまりにくい。それをジョスパン社会党は一時的ではあっても克服しようとた。「多様な左翼」とは左翼の大同団結を意味した。

 ジョスパン第一書記は、「国民は新しい多数派を選出した。(中略)欧州統合の新たな方向づけを行い、人間のための経済・社会政策を求める」と高らかに勝利宣言を行った。「人間味ある社会主義」を標榜(ひょうぼう)した。

 この思わぬ与党敗北の最大の原因は、シラク大統領とドヴィルパン大統領府官房長官とジュペ首相の戦術、つまり「抜き打ち」解散選挙そのものにあった。すでに解散宣言直後(㋃22日)の世論調査ではシラクの早期解散を「政治的策略」とみなした有権者は81%に達していた。第1回投票の棄権率がそれまでの総選挙の中で第2番目の高さ(32.1%)であったということもそれを証明していた。

民主主義の成熟

 日本では2014年の総選挙で安倍政権は予想外に大勝した。今回も当初の目算以上の優勢が伝えられる。その第一の原因は野党の弱体であり、分裂であるし、小池新党「希望」の現政権との対峙の姿勢だけが鮮明で、政策スタンスの不確かな保守派の存在がかえって混乱に拍車をかけた結果だ。

 しかしもう一度改めて考えてみよう。それは政治家や政党だけの責任なのであろうか。

 筆者は民主主義の後退に、政治家や政党の責任だけを求める有権者の姿勢にも問題があると思う。民主主義や民意は我々が創っていくものでもある。メディアを含めて、その姿勢が弱いというのが日本の政治文化の特徴ではないか。事態は「なる」のであり、「お上」による上意下達が基本であるという発想を我々は無意識にももっているのではないか。

 現状に対する執着と安定をまず大切にする日本的な政治文化と、前に進むためにまずは変化を求めるフランス的な気性には大きな乖離(かいり)がある。それは民主主義を国民一人一人のものとして大切にする近代的市民社会論理の定着の違いである。歴史の違いでもある。

 実はフランスのような形で国民が政治の浄化を常に意識することは極めて大切だ。フランスでは与党が負けたりすると、新聞の一面で「制裁」という表現が躍る。間違ったものには責任を取ってもらうという意識である。しかし他方で、時世時節、復活は大いにありうる。そしてそのための切磋琢磨と努力を有権者は評価する。こうした姿勢が定着している。

 実はフランスでは与党による解散選挙は1997年以来この20年間一度もない。正当性の希薄な狡知による解散選挙はできなくなったのである。他方で、安倍政権は綱渡りで実施した2014年の抜き打ち選挙で大勝し、その味を覚えた。それを再現しようとしている。

 延命のために政治の停滞を招いている張本人が与党であることには間違いないのだが、投票場でそれを許しているのはわれわれ国民一人一人でもある。自ら「する政治」に対する意識の希薄さにも大きな責任がなしとは言えない。

 瓢箪(ひょうたん)からコマのような社会党の大勝であったが、このジョスパン社会党政府は歴史的に大きな貢献をした。世界に先駆けた思い切った先進的な政策を進めたのである。有名な男女機会均等法(パリテ)、同性愛者・同棲者の権利(PACS)、貧困層救済(社会的疎外者対策法、雇用・住宅、疾病予防・治療のアクセスの優遇措置、普遍的医療保険制度の導入、16歳以上の国民の強制的・自動的基礎保険への加入措置)そして週35時間労働法など世界的にもまた歴史的にも画期的な社会保護政策が次々ととられた。予期せぬ形の選挙とその結果でフランスの社会保障は一気に進んだ。

 狡知を断罪する勇気は、政治のおおきな進歩につながったのである。民主主義政治とは保身ではなく、みんなで政治と社会を変える勇気を重ね合わせることに原点があるはずだ。かつて戦後体制はいまだに「大政翼賛会」だと野口悠紀雄氏は断罪した。私たちは数の論理を超えた民主主義精神の根幹をめぐる試練の時を今こそ迎えている。