政権交代のある政治に不可欠な野党の政策立案力。今こそ政策シンクタンクの発展が必須
2017年12月15日
旧ソ連でも北朝鮮でも国民一般が参加する選挙が実施されていた(る)ことは、意外に知られていない。しかし、いずれも民主主義国家とは認知されていない。投票所に行っても定数と同人数の候補者しかいないなど、有権者に選択肢が事実上、与えられていなかったからである。
民主主義が機能するためには、政党、候補者、政策それぞれについて、複数の現実的な選択肢が有権者に提示されることが不可欠だ。政党、候補者、政策がお互いに競争する活発な「市場」が形成されることが必要なのである。そのために、人類は様々な制度や組織を発展させてきた。
本稿では、その一つの重要な装置である政策シンクタンクについて、直近の日本政治の動向と絡めて論じる。現在の日本政治において政策シンクタンクはどのような役割を果たしうるのだろうか。来年には日本最大の政策シンクタンクとして生まれ変わる予定の東京財団の取り組みにも触れつつ、考えてみたい。
2017年は、日本の政治のあり方が問われた年となった。森友、加計問題が国会で大きく取り上げられ、安倍晋三内閣の支持率は乱高下した。一連の報道などを通じて浮き彫りになったのは、首相官邸への権力集中とその権力中枢への「忖度(そんたく)」に励む官僚たちの姿であった。
10月の衆院選挙前には野党の離合集散が起こり、選挙期間中に内閣支持率を不支持率が上回る状況だったにもかかわらず、自民党は再び圧勝した。
官邸への権力集中それ自体の功罪は相半ばする。官邸主導政治は1990年代以降の「改革熱狂」が目指してきた姿である。当時の熱狂の背景には、「決められない政治」「縦割り行政」「官僚主導」などへの強い反発があった。
政治権力の集中のプラス面を生かしつつ弊害を防ぐためには、権力のガバナンス体制をしっかりと構築することが何より重要となる。最良のガバナンスを担保するのは、やはり競争だ。
政党、政策、候補者のいずれにおいても複数の有力な選択肢が提示され、それらの選択肢の間で自由で公正な競争が行われることが必要となる。冒頭の旧ソ連など極端な例を挙げるまでもなく、権力が集中する中で有効な選択肢が失われれば、たとえ選挙権が平等に付与されたとしても、民主主義は実質的には機能しなくなる。
90年代に衆議院に導入された小選挙区制度の下で、政治権力に対するガバナンスの中心となるはずだったのは、二大政党間の競争であった。権力の上にあぐらをかいたり、権力者が私益に走ったり、有効な政策を打ち出せなければ、もう一方の政党に政権を奪われる。その緊張感が政権への最大の規律付けとなるはずだった。90年代の改革熱狂を先導した小沢一郎氏の『日本改造計画』にも、小選挙区制度の導入と二大政党制の定着が唱えられている。
しかし、2009年には自民党から民主党への政権交代がなされたものの、そこで誕生した民主党政権は有権者を幻滅させた。その幻滅は有権者の脳裏に染みつき、今や自民党に対抗できる政党が見当たらない状態が続いている。10月の総選挙での自民党の「熱狂無き圧勝」も、野党の「オウンゴール」だったという見方が有力だ。
小選挙区制下で有力な対抗野党が存在しなければ、有権者の選択肢は事実上、大きく狭められ、権力が集中した官邸へのガバナンスが効きづらくなる。さらに、中選挙区制下では力を持っていた自民党内の派閥も小選挙区制導入後は力を失い、今は自民党内の競争も失われている。日本の政策市場を独占し政治に対して一定の自律性を保ってきた官僚機構も、内閣人事局の設置により官邸に人事権を握られ、今は官邸への忖度に躍起となっている。
こうした選択肢の狭まった閉塞(へいそく)的な状態を招いた要因の一つは明らかに、野党、とりわけ一度は政権を握った旧民主党の体たらくだ。ただ、長年にわたり二大政党制や多党制を熟成させてきた他の先進民主主義国家に比べ、90年代以降に急速に上からの政治・行政制度改革を進めた日本では、小選挙区制導入で志向した二大政党制を補完し機能させる各種の制度・組織の発展が遅れたのも事実だ。
その一つが、日本における本格的な政策シンクタンクの不在である。
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