国民的歌手の「国民葬」に高揚するフランス人。背後に不安や不満を忘れたい思い
2017年12月27日
「パリは移動祝祭日だ」と定義したのはあのヘミングウェーだが、12月6日に肺がんで死去した国民的歌手ジョニー・アリディー(享年74歳)を悼むため、パリでおこなわれた葬儀は、まさに国をあげての移動祝祭日の様相を呈した。ただ、エマニュエル・マクロン大統領自らが音頭をとった「国民葬」の背後からは、日々の不安や不平、不満を、一時の祭りの高揚によって忘れたいという、フランス国民の隠された願望も透けてみえる。
「国民葬」のあった9日朝、パリ近郊の自宅で死去したジョニーの棺(ひつぎ)は、オートバイ狂だった彼に敬意を表する700台のオートバイに追走されながら、凱旋門からシャンゼリゼ大通りを下り、葬儀がおこなわれるマドレーヌ寺院に向かった。沿道は約50万人のファンで埋まり、テレビの生中継の視聴者は約1500万人、警備で動員された警官も1500人にのぼった。
マドレーヌ寺院には、親族をはじめ歌手や俳優らショービジネスの有名人、さらにマクロン大統領夫妻、オランド前大統領と同居人の女優ジュリー・ガイエ、サルコジ元大統領夫妻、エデュアール・フィリップ首相らが続々と到着した。
マクロン大統領は到着した棺を前に、「ジョニーは歌手以上の存在である。人生そのものだ。フランスの一部である」と重々しく宣言した。当初、口笛を吹いたりして大統領の挨拶(あいさつ)にヤジを飛ばしていた聴衆も次第に静まり、最後には喝采の拍手がわき上がった。
大統領は訃報(ふほう)を知らされた6日午前2時過ぎにも、「何世代にもわたり、彼はフランス人の人生に刻み込まれた」という声明を発表し、「ク・ジュテーム」などのヒット曲を引用しながら、フランス国民にとってジョニー・アリディーの存在がいかに大きかったかを強調した。
日本人を含め、外国人にとってジョニー・アリディーは、エディット・ピアフや俳優としても成功したイブ・モンタンのようなフランスを代表する歌手では決してない。つまり、いわゆるシャンソン歌手ではない。
1960年のデビュー当時、いみじくも「フランスのエルビス・プレスリー」とも称された彼は、アメリカ式のロックン・ロールをフランスに初めて輸入して若者を熱狂させ、アイドルになった。以後、抜群の歌唱力でロック以外の分野でもヒット曲を飛ばし、レコードの売上枚数は1億1千万枚余。コンサートではスポーツ競技場「スタッド・ド・フランス」(8万人収容)も満員にした。
間違いなく「国民葬」に値する国民的歌手である。大衆文化とは無縁にみえ、それゆえに大統領選では右派・中道政党の合同予備選で敗退した冷徹な秀才アラン・ジュペ元首相までが、葬儀のテレビ中継を見ながら「何たる美、何たる平和、何たる愛か」とツイートとした。
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