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イラク・シリア国境の「矢切の渡し」船上の乗客たち(筆者撮影 チグリス川の上で拡大イラク・シリア国境の「矢切の渡し」船上の乗客たち=チグリス川の上で 撮影・筆者 
12月26日(火) イスタンブール空港でトルコ航空の国内線に乗り換えて、イラク国境の都市マルディンに向かう。マルディンはとても古い歴史をもつ旧市街が山肌にへばりつくように拡がっていた。空が青い。このあたりもトルコ軍のクーデター事件以降、まだ非常事態宣言が解かれておらず、クルド自治区との国境に近いこともあって、若干緊張する。コーディネーターの男性H氏は全く英語が喋れないので、ほとんどボディランゲージだけで通したが、今回の現地取材を仕切ったEさんは一体どうやって彼と意思疎通をしたのだろうか? 

 とにかく撮影を注意深く済ませて、トルコ・イラク国境へ。住民投票以降、トルコ・イラク国境は閉じられ、アルビル空港の国際線就航も全面禁止されているので、トルコ・イラク国境で唯一開いている「ハブル門」を陸路で通るしかない。この国境の「ハブル門」、トルコ側での撮影は実に困難だ。無理をしないことだ。一般車両用通過口とタンクローリーなどの長距離輸送トラック専用通過口の2つに分かれている。

 14時12分、僕らは一般車両の方に行く。国境通過を試みようとしているクルド人の貧しき人々の群れを門の近くで見た。僕らは日本人であるということで、トルコの入管当局者によって30分近く留め置かれ、荷物のチェックなどを受けた。車を何回か乗り換える必要がある。トルコ国境の「ハブル門」までの車両。そこで旅行代理業者の別の車に乗り換える。そしてイラク側の入管を通過したところでさらに別の車に乗り換えて、イラク側の国境に近い町ザホールに辿り着くまでその車を使うというわけだ。

 イラク側に入ると閑散としていた。15時15分、ザホールの町中の小さなホテルで先行取材していたEさん、それに旧知のクルド人コーディネーターM氏らと再会。M氏は懐かしい。前回、僕らはIS=イスラム国が敗走したモスルの取材をともにした。ホテルのロビーは停電中でエレベーターが動いていない。ホテルのフロントから「あと30分くらいたったら電気が来るから待て」と言われる。フロントの前の椅子に座って薄暗い中で、N氏、E氏、M氏らとこれからの予定などを確認する。ここはイラクのクルド自治区であるということで、何だか一安心したような気分になるのはどういうわけだろう。

 夕刻、この地での運転手ともども、レストランでケバブを食べて腹ごしらえ。いよいよあしたからシリア領土内のクルド人地区=通称ロジャヴァの取材が始まる。疲れでぐっすりと眠ってしまう。スーツケースの中から45リットル入りのバックパックに必要最小のものを詰めて眠る。シリア領ではどうせ屋外取材が中心になるので、パソコンなんぞ持っていっても役に立たないだろう。大体ネットが通じないだろう。できるだけ身軽に、というのがEさんからのアドバイスだ。

国境なんかこんなもんだ

12月27日(水) 午前8時25分、ホテルを出発。いよいよシリア領へと入る。イラクとシリアでは1時間の時差がある。向こう側シリアは1時間のビハインド。40分足らずでチグリス川の細い流れの箇所に到着。こりゃあ、「矢切の渡し」じゃないか。そうなのだ。鋼鉄製の小さい渡し舟で国境を越えるのだ。イラク側から乗り込んだ人数は10人もいない。しかも1分くらいか。あっという間。何だかあっけない。国境なんかこんなもんだ。生活上の必要があれば越えればいいのだ。

 シリア側の検問所はとてもフレンドリーだった。そこに待ち受けていた車の荷台に乗ってホテルのあるカミシリまで移動。天気がいいので気持ちがいい。ホテルでこの地の運転手さんH氏の車に乗り換え。今日の予定は、このシリア・クルド地域を実効支配しているPYD(シリア・クルド民主統一党)のトップに会うことだ。

チャウシェスク時代ルーマニアの石油掘削機(シリア領ロジャヴァ)拡大チャウシェスク時代のルーマニアの石油掘削機=シリア領ロジャヴァで 撮影・筆者
 さっそくホテルに荷物を置いて出発。途中、油田地帯が広く拡がっていて、旧式の石油掘削機が道路際で作動している。M氏の解説では、この掘削機はルーマニア製で、チャウシェスク時代に友好関係にあったシリアの地に投資していたのだという。それがまだ動いている。石油が人々に争いを引き起こす。

 PYD本部に着くと警備もそれほど厳重ではなく、何だか政党本部という感じ。ハリリー代表にインタビューする前に、そこにいた女性職員や法律顧問とかにせっかくのチャンスなので話を聞いてみたが、きちんと答えてくれた。ひとつわかったことは、このPYDは徹底した男女同権主義が採られていること。もうひとつはシリアからのクルド独立ではなく、連邦制のなかでの自治を求めていること、さらにさまざまな点でPKK(クルディスタン労働者党)の影響が残っていることだ。だがアメリカの言うようなテロ組織ではない。

 今回の中東取材で僕はひとつの戦術を立てていた。それは「あなたにとって<幸福>とは何ですか」「あなたにとって<家族>とは何ですか」「あなたにとって<戦争>とは何ですか」という愚直な質問を敢えてぶつけてみることだった。それがその場にそぐわないことであってもだ。だからそれを実行してみたが、こちらが考えていたよりも相手はこの質問に対して多弁だった。夜中まで取材許可証をもらうために動き回るが不調。

避難民キャンプで驚いた

12月28日(木) 朝6時に起床。ジャジーラ郡にある国内避難民のキャンプに取材に行く前に少し時間があるので、ノートに手書きで国内の原稿を書く。京都のかもがわ出版から出る予定の本の前書き。パソコンを持ってこなかったのは本当に大失敗だった。カミシリ市内では、本当に遅いが何とかネットがつながっているではないか。携帯電話が使われている限り、そして人の行き来がある限り、さらに言えば戦争がある限り、ネットは通じているのだった。

 シリアの国内避難民キャンプを取材するのは初めてだ。IS=イスラム国が支配していたデリゾールがシリア政府軍によって制圧された際に逃げ出してきたアラブ人やクルド人が多い。ラッカやコバニ、アレッポから逃げてきた人々もいた。皆、粗末な衣服でテント生活を余儀なくされていた。スンニ派のアラブ人が多い。取材をしていると口々に生活苦を訴えてくる。ISによる圧制のみならず空爆による加害も怒っている。キャンプを実質管理しているアサイシ(治安警察)の係官によれば、避難民のなかにはISのメンバーや家族も計300~400人ほどいて、ある者は捕らえられ、ある者は逃亡したという。

 そこで予想していなかったことが起きた。本当に驚いた。 ・・・ログインして読む
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筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『ロシアより愛を込めて――モスクワ特派員滞在日誌 1991-1994』(筑摩書房)、『二十三時的――NEWS23 diary 2000-2002』(スイッチ・パブリッシング)など。共著に『テレビはなぜおかしくなったのか<原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題〉報道をめぐって>』(高文研)、『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川書店)など多数。

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