伊東順子(いとう・じゅんこ) フリーライター・翻訳業
愛知県豊橋市生まれ。1990年に渡韓。著書に『韓国カルチャー──隣人の素顔と現在』(集英社新書)、『韓国 現地からの報告──セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)など、訳書に『搾取都市、ソウル──韓国最底辺住宅街の人びと』(イ・ヘミ著、筑摩書房)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
政治よりも、スポーツを楽しみましょう!
韓国で長く暮らしながら、これまで数多くのスポーツイベントを見てきた。その熱狂ぶりは時には韓国人が見ても過剰だったようで、時々メディアで意見を求められた。特に2002年、サッカーW杯の頃、折しも前年に韓国で出版されていた拙著『韓国人は好きだが、韓国民族は嫌いだ』(2001年、ケマ高原)が韓国ナショナリズムの批判だったこともあり、そこを指摘してほしいというような依頼が多かった。
「国際競技とナショナリズムの関係、外国人から見て、我が国はどうでしょう?」
「オリンピックのメダル数に熱狂するのは、発展途上国っぽくはありませんか?」
広場を埋める赤い群衆を見ながら、韓国の中堅記者は少し恥ずかしそうに尋ねてきた。
それを思えば、平昌オリンピックを前にした現在の韓国人、特に若者の態度は、過去にないほどの「先進国的な成熟」なのかもしれない。団体応援の呼びかけも、同じTシャツの着用を求めるようなこともない。
「オリンピック、見に行く?」
「寒いから、テレビでいいかな」
みなさん、落ち着いた反応だ。ただ、今回は開催国である。メダル競争とは別に、ホストとしての役割がある。それを考えると、この「冷めた感じ」には、少々の不安さえ感じる。ただ、熱くなれない理由がある。
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