「9条=安保体制」をどう克服するかというレベルでの議論を深めていく時だ
2018年02月12日
去る2月4日に沖縄県名護市の市長選挙が行われ、政府・与党の支援する前市議の渡具知武豊が現職の稲嶺進を破り当選した。この選挙が「辺野古移設問題」の今後を決するいわば〝天王山の戦い〟であったことは、誰もが認めるところである。またそうした重要な選挙であったからこそ、メディア等でも話題となり、激しい選挙戦の動向が全国的に伝えられると同時に、選挙後は両候補者の勝因や敗因、そして今後の影響などが論じられてきた。こうしたメディアの取り上げ方はまったく当然なことであり、また必要なことでもある。
しかし、こうした現状分析や将来予測にのみ、とどまってよいのだろうか。やはり今の状況を改善していくためには、議論を前に進めていかなければいけないのではないか。
大事なことは、この辺野古を含む沖縄の基地問題が一体どういう性格の問題であり、またどのように解決の方途を見いだしていくか、という点にある。そこに議論を移行させていかない限り、政治レベルでは辺野古移設の推進派と反対派の対立がいつまでも続き、ともに体力を消耗させるばかりである。また言論レベルでも、それぞれの陣営を単に擁護するような不毛な空中戦を繰り返すだけとなる。
沖縄の基地問題の特徴は何と言っても、問題はシンプルでありながらもその解き方が難しいという点にある。問題とはいうまでもなく、基地の過重負担である。1972年の沖縄返還を前に衆議院では自民、民社、公明の3党が、政府に対して沖縄の米軍基地の「すみやかな将来の縮小整理」を求める決議案を提出し、これが全会一致で可決されている。その際に趣旨説明に立った公明党の浅井美幸は、こう述べている。「沖縄米軍基地の実態は、基地の中に沖縄があるといわれてきましたとおり、密度においては本土の二百数十倍にも達し、機能においても本土のそれとは比べものにならないものがあります」(第67回衆議院本会議議事録第18号、1971年11月24日)。
つまり、基地面積からみた負担度(基地の密度)を沖縄と本土で比較すると、沖縄は本土の200倍以上もあるというのである。しかし、これは45年以上も前の話しである。その後、その差は縮まったかというと決してそうではなく、逆に本土において米軍基地の整理縮小がさらに進んだ結果、今ではその負担度は実に400倍にもなっている。国土面積のわずか0.6パーセントの沖縄に米軍基地(専用施設)の70%が存在するということは、そういう意味である。
そもそも国民主権に基づく民主主義国家の根底にある原則は、国家防衛の負担平等である。なぜなら、その民主主義国家においては、国民みずからが主権者であるため、その国家を守るためには国民みずからが国を守る意志をもち、その負担(責任)を等しく分かちあうことが必要だからである。
その観点から考えると、アメリカへの基地提供という形で国家防衛の負担を一地域がこれだけ背負っているということを、私たち国民ひとりひとりがどう考えるのか、ということである(この点については、拙稿「沖縄基地問題は日本全体の問題だ 同情や批判にとどまらない挑戦を」『Journalism』2015年9月号を参照)。
では、この沖縄の過重負担を是正するためには、どうすればよいか。
答えそのものは簡単である。
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