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[72]飲んでる暇があったら…

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

石牟礼道子石牟礼道子さん(1927―2018)

2月6日(火) 朝、プールに行ってゆっくりと泳ぐ。このところストレスがたまっていてよくない。30分以上泳いで体重が70キロを切るくらいが一番調子がいい。今週は平昌オリンピックの中継で「報道特集」が放送休止なので定例会議もない。オリンピック中継はテレビ局にとって至上価値を持つ。

 『クレスコ』の原稿、3・11から7年目の福島第一原発炉心溶融事故をめぐるもろもろの状況について書こうと決める。事故が全く終息していないこと。廃炉作業員の数が足りないこと。帰還が自己目的化し美談化されていること。御用学者、御用メディア、御用文化人が再び蠢動していること。いくらでも書きたいことがある。『ジャーナリズム』の原稿は「憲法改正とテレビ」というちょっと難しいテーマで。

 福島第一原発取材のもろもろの打ち合わせ。どこに取材の力点を置くか、身分証明書の携帯を忘れないこと、ICレコーダー持ち込みをうまく活用すること、手際よい動き方などについて再確認。

 夕刻から中目黒で打ち合わせ。満腹。帰宅して、ネットでショッキングな情報に接する。年末年始に取材に行ったシリアのクルド人支配地区で僕らは女性防衛部隊YPJの訓練の模様を撮影した。シリアの人権監視団が2月3日にある映像を公表した。その映像では、トルコとの国境に近いシリア領内で、戦死したクルド人女性兵士の遺体の手足を十数人のトルコ側民兵が切断する様子や、民兵の一人が半裸の女性戦闘員の胸を踏みつける様子などが生々しく映し出されていたという。映像は加害者側が撮影したものが流出したらしい。取材に同行したEさんがそういえば取材現場で言っていた。シリアのクルド人女性兵士らは実に勇敢だが、銃弾を絶対に使い切らず1発だけ残しておく。それは凌辱される前に自殺するためだという。

福島第一原発の取材へ

2月7日(水) 午前中、イラク大使館。『調査情報』の原稿を書き始める。名護市長選挙で何が起きていたのか。選挙の結果は、本土に住む人に対する重い、重い問いかけだ。12日予定の滋賀県大津市での講演準備。チケット購入。沖縄の作家、伊佐千尋さん死去。

2月8日(木) 午前中、早稲田大学の授業の受講生の成績確定作業。今期の講義の参加者たちは実に熱心だったという印象。あしたの福島第一原発構内取材の準備。

 何気なくみていたNHKのニュースで、産経新聞が今日の朝刊1面で、沖縄市で去年12月に発生した交通事故をめぐって米海兵隊員が日本人男性を救助したとする記事を削除し、沖縄の地元2紙、「琉球新報、沖縄タイムスの報道姿勢に対する行き過ぎた表現があった」として謝罪する記事を掲載した。驚き。

 夕方、代官山の小さなライブハウス「晴れたら空に豆まいて」で、前々から伺うと約束していた大工哲弘さんと高田漣のデュオを頭の方だけみる。会場に入ると、いつも「渋さ知らズ」のライブ会場で会うDさんがいた。高田渡の『夕焼け』という曲、初めて聞いたけれどいいなあ。

 後ろ髪を引かれる思いで4曲聞いたところで、東京駅から20時53分発の常磐線特急でいわきへ。車中で、かもがわ出版から出る本のあとがき1800字を書く。いわきの二つ手前の駅で僕の乗っていた車両には乗客が僕以外誰もいなくなった。タクシーが拾いにくく、なおかつ富岡町まではなかなか行ってくれないかもしれないと思い、事前に予約をしておいて本当によかった。いわき駅から1時間あまりで富岡駅前の富岡ホテルに到着。途中のコンビニで買ったおにぎりを食べて入浴して眠る。

2月9日(金) 早朝の集合時間に間に合わせて朝食をとりに階下に降りたらKディレクターがいた。Kカメラマン、エンジニアのMらと軽く打ち合わせ。双葉郡にはこのところホテルがたくさん建っている。その多くは原発作業員の実質的な宿舎になっている。福島第一原発構内取材。日本記者クラブ主催の取材ツアーである。予想したより実り多い取材となった。実質4時間あまりの取材。バスで東京に帰る。車中で人権雑誌用の原稿。

「前」の人たちの声が聞こえてくる

2月10日(土) 朝、プールに行きゆっくりと泳ぐ。今日はオリンピック中継で「報道特集」は休止。

 作家の石牟礼道子さん死去の訃報。90歳。本当にひとつの時代が終わっていったのだという思いが沸く。最後に石牟礼さんにお目にかかったのは、去年の4月14日の午後1時頃だった。

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